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NHK大河ドラマ「べらぼう」の徳川家に関する相関図

 2025年のNHK大河ドラマとして放送の「べらぼう」の、「徳川家」に関する情報です。

 「べらぼう」は江戸時代のメディア王と呼び声高い蔦屋重三郎の物語。
 その蔦屋重三郎の人生に密接にかかわってくるのが時の徳川政権。
 この時代の「徳川家の人々」も理解できないと、ストーリーが楽しめない。

 4話で急死した田安家の2代目当主や、寺田心演じるその弟「賢丸(まさまる)」の養子に行く、行かないという話や、生田斗真演じる一橋がどんな関係性なのか。

 将軍家も世代交代していく。

 そのあたりの「徳川家」の主要人物のみを、相関図にしました。

目次

大河ドラマ「べらぼう」NHK公式の相関図

 NHKの「べらぼう」公式サイトにも、徳川家の相関図はあります。

 ただ、その相関図にある血縁関係は十代将軍・家治(いえはる)と、側室・知保の方、そしてその二人の間の子・徳川家基の3人だけ。
 あとは大奥総取締や御三卿の面々が添えてあるだけ。

 これだとちょっとわかりづらかったですね。とくに「御三卿」の関係性をわかるようにしてほしかった。

 ↓NHK公式の相関図はこちら
【キャスト・相関図】徳川家

大河ドラマ「べらぼう」オリジナル徳川家関連相関図

 「べらぼう」の時代に関連する「徳川家」と「徳川御三卿」の男子のみを相関図にしました。

 「徳川御三卿」は八代将軍・吉宗の子と孫からなる、将軍の跡継ぎを輩出することを目的に創設された徳川将軍家の一門。
 大名として藩を形成することはなく、江戸城内に屋敷を与えられ、将軍家の家族のような扱いを受けていた。

 なお、八代将軍吉宗と九代将軍家重は、「べらぼう」の時代すでに故人となっている。

 この相関を見てわかるのは、みな「八代将軍の子孫」だということ。

 養子の件で揉めている田安賢丸も、亡くなった兄・治察も、一橋治済(生田斗真)から見れば「いとこ」。そして全員が「八代将軍・吉宗の孫」でもある。

 「べらぼう」では主に、御三卿の中の「一橋家」と「田安家」の対立が描かれる。
 つまりいとこ同士だが、仲が悪い。

 一方、御三卿の中で最も出入りが激しいと言われたのが「清水家」。
 初代の重好に実子がなかったことから、このあとは将軍世子の弟ないし将軍の弟が幼少で当主に立てられ、御三家に転出した当主が相次いだこともあって、一時的な断絶を繰り返していくことになるが、「べらぼう」との関連は薄い。

▶「べらぼう」あらすじは こちら

田沼意次と田沼家のその後は?

 「べらぼう」の前半では、重要人物として幕府要人・田沼意次も出てくる。

 田沼意次は、石坂浩二演じる老中首座・松平武元が亡くなったあと、幕政を専横したが、嫡男・意知の暗殺事件を契機に、急速に権勢は衰えた。

 嫡男が亡くなっていることから、その後、田沼家の家督は意知の子どもに継承される。
 だが、三人いた男子がいずれも次々と二〇代前半の若さで亡くなっている。

 そのため田沼意次の甥の意致(おきむね)の子、意定(おきさだ)が家督相続人の養嗣子となって跡を継いだ。

 しかし、意定も二〇歳で死去。意次の四男・意正(おきまさ)が養嗣子となって家督を継ぐ。 意定の没年が1804年。田沼意次の長男・意知の没年が1784年。つまり、およそ20年の間に「田沼家当主」となった若者が、次から次へと二〇代前半の若さで亡くなっているのだった。

 意正が田沼家当主になった代でようやく安定。さらに、旧領である遠州相良への復帰を許され、若年寄(西丸)に就任。

 このあとも田沼家当主は継承され、明治維新以降も続いている。 

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