2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」の「あらすじ」に関する情報です。
主に、分かりづらい幕臣、幕府要人、徳川家に関するストーリーを重点的に解説します。
今回は第4話 『雛(ひな)形若菜』の甘い罠のあらすじです。
※ネタバレあり
大河ドラマ「べらぼう」第4話『雛(ひな)形若菜』の甘い罠のあらすじ
安永3年(1774年)秋、徳川御三卿のひとつ、田安徳川家の2代目当主・田安治察(はるあき)が、22歳という若さで急死。
弟・賢丸(まさまる・寺田心)は、老中首座の松平武元(石坂浩二)に「頼み事」をする。
松平武元は、大奥総取締の高岳(たかおか・冨永 愛)に面会し、賢丸の「頼み事」を将軍に口添えしてほしいと書状を渡し、賄賂の「翡翠の香炉」を贈る。
『一目千本』で成功した蔦重(横浜流星)は、吉原の主人達から「次は錦絵を」と期待されるが、女郎達はふたたび入銀を要求されて、それを嫌がる。
田沼意次は将軍・家治から直々に「賢丸の陸奥白河藩への養子を断るように」と告げられる。意次は「心得ました」と平伏するものの、何かをたくらむ。
賢丸は松平武元から養子の件が取り消しなったこと伝えられ、武元に感謝する。
武元は、
「今後は、田沼にお気をつけください」
と言って、養子の話も田沼意次が上様を手玉に取り、思うがままに事を動かしていると忠告する。
そのころ、田沼意次の屋敷では、側近の三浦庄司(原田泰造)相手に意次が、田安家を潰すつもりでいることを語る。意次の息子・意知(おきとも)も父に賛同。意次は「意知、やるか」と何かを示唆する。
平賀源内に会った蔦重は、歌舞伎役者・瀬川菊之丞が流行らせた“路考髷(ろこうまげ)”に“路考結び”の帯、路考茶(ろこうちゃ)色の着物を着た町娘が、菊之丞亡き今もいることを知る。「あれで、呉服屋は大儲けしたんだ」という源内の言葉に、ひらめく蔦重。
そのあと源内は町中で、身分を隠した意知(田沼意次の息子)と密会。意知が置き去った風呂敷包みを持ち帰り、自宅で「覚 両家処置之事」と題された文書の中身を改ざんし、細工する。
蔦重は、呉服屋から入銀させ、錦絵の女郎たちに「呉服屋の売り込みたい着物」を着させることで、着物の売り込みにもなると思いつく。
錦絵で有名な「西村屋」の主人が蔦重に声をかけて、協力を申し出た事から、呉服屋からの入銀もはかどる。錦絵を描く絵師も、「西村屋」の手引で、美人絵を得意とする礒田湖龍斎に決まる。
「西村屋」は蔦重に「お前さんも、これだけの錦絵を出せば立派な版元(出版者)」と言われ、版元を名乗ることにした蔦重は、平賀源内に「堂号(どうごう)」を考えてほしいと依頼する。
「駿河屋」で預かっていた礒田湖龍斎の下絵を、濡らしてダメにしてしまった蔦重。落ち込む蔦重に「試しに、おいらに直させて」と言う唐丸。濡れて墨が滲んだ礒田湖龍斎の下絵を、唐丸は見事な筆使いで写し取る。仕上がった絵を見て、その上手さに驚く蔦重。
意知から「覚」を受け取った田沼意次は、改ざんしたことがわからない源内の仕事ぶりに感心する。
「覚」を見せられた賢丸は、
「田安、一橋両家を、継ぐ者がない仕儀となれば、そのまま当主を置かず、お家断絶とすること」
の一文を読み上げる。
田沼意次は、「覚」を盾に、吉宗公のお定めを蔑ろにしてまでも賢丸様が田安家に戻りたいというなら、そうしても構わないと言うが、「覚」を本物と思っている賢丸は、田安家に戻ることは吉宗公の定めに背くことと思って苦悩する。田沼意次が去ったあと、
「今に見ておれ・・・・田沼」
と怒りをあらわにする賢丸。
平賀源内から「耕書堂(こうしょどう)」という堂号 「覚」を見せられた賢丸は、
「田安、一橋両家を、継ぐ者がない仕儀となれば、そのまま当主を置かず、お家断絶とすること」
の一文を読み上げる。
田沼意次は、「覚」を盾に、吉宗公のお定めを蔑ろにしてまでも賢丸様が田安家に戻りたいというなら、そうしても構わないと言うが、「覚」を本物と思っている賢丸は、田安家に戻ることは吉宗公の定めに背くことと思って苦悩する。田沼意次が去ったあと、
「今に見ておれ・・・・田沼」
と怒りをあらわにする賢丸。
▶「べらぼう」の徳川御三卿 相関図はこちら
平賀源内から「耕書堂(こうしょどう)」という堂号をもらい、錦絵のお披露目の集まりに向かう。入銀した呉服屋に、完成した錦絵を披露する蔦重。その仕上がりの見事な様子に、喜ぶ呉服屋たち。この錦絵を『雛(ひな)形若菜』と名付け、版を重ねていくつもりだと言う蔦重。
しかし、同席した「西村屋」と、急に姿を表した地本問屋の「鱗形屋」(片岡愛之助)「鶴屋」(風間俊介)が、蔦重が勝手に版元を名乗るのは「定」に背くと言い出す。
「地本問屋の仲間内で認められた者しか、版元をやってはならぬという定」
と言う「鱗形屋」。
まわりから蔦重さえ抜ければ丸く収まると言われ「ふざけるな」と怒る蔦重だが、「吉原のためだ」と育ての親の「駿河屋」に言われて、しぶしぶ手を引く蔦重。
酒を酌み交わしながら「西村屋」と「鱗形屋」がお互いを「芝居が上手」と褒め合っている。鱗形屋が西村屋に声を掛けて、この話に協力させ、蔦重は騙されて追い出されたのだ。「ここまで大化けするとは思わなかった」と言う「西村屋」に、「こっちのほう(と、ふところに入れる仕草)もよろしくな」と言う「鱗形屋」。
「鱗形屋」は、この先、蔦重と「吉原」を「丸抱えにしてぇのよ」と語る。
秩父・中津川鉱山。燃え盛る炎。
同居する浪人・小田新之助に小判を渡し「うつせみに会いに行ってやれよ」という平賀源内の家に、相棒であり戯作者・狂歌師の内藤新宿の煙草屋・平秩東作(へづつとうさく)が飛び込んでくる。
「源内さん!お・・・お山が!急いで」
二人は駆け出して行く。
なぜ田安徳川家を田沼意次は潰したいのか?
蔦重が「着物を錦絵に」と思いついて、呉服屋に入銀を依頼するくだり。日本初(じゃないかもしれないけど)のタイアップ企画じゃん!て思って、興奮しました。
今でも普通に芸能人やインフルエンサーに、アパレルやコスメのブランドが商品を使ってもらって、宣伝効果を狙うていうのはあるけど、オールドメディアの最たるものである江戸の錦絵で、それを思いつくって、まさにメディア王誕生の瞬間でした。
「覚」の文書改ざんは実際あったかどうか。おそらくはドラマの創作とおもわれるのですが、「賢丸が田安家を相続する話」を養母の宝蓮院が取り付けていたにもかかわらず、「田沼意次が約束を破った」というのは史実。
賢丸が後の老中・松平定信となって、子孫のための指針として書いた自叙伝が「宇下人言」。これは現代でも岩波文庫で読めます。
ここに「田沼意次が約束を破った」という話が書かれているそうです。
賢丸はよほど聡明だったのか、一時は「次期将軍に」という話もあったそう。
第10代将軍・徳川家治の後継と目されていた賢丸を、なんとしても陸奥白河藩の養子に出そうとした田沼意次は、派閥で言うと「一橋派」。
何で一橋を持ち上げるのか、そこまで調べる気力もないので詳細不明ながら、田安徳川家は邪魔者らしい。亡くなった田安治察は元々病弱だったそうなので、(てか、将軍家、病弱すぎ)毒殺ではないかもしれないけど、7人も8人もいる男子がことごとく夭折している田安徳川家を見ると「やっぱり、毒殺?」て思いますね。
このあと「天明の打ちこわし」と総称される出来事が、当時の主要都市(江戸や大阪)を中心に30か所あまりで発生。1787年の出来事というから、今回の時代からおよそ14年後になります。
その出来事をきっかけに、田沼意次政権派と、松平定信(田安賢丸)を押し立てようとする譜代派との争いが決着。田沼派が没落。松平定信が老中首座となり寛政の改革が始まる・・・ということなので、今後もますます、寺田心vs渡辺謙の争いが描かれると思われます。
平賀源内は晩年をよく知らなかった。エレキテルとか、歯磨き粉の広告文は有名だけど、妻も子もなく、最後はどうなったのかと思って調べたら、諸説あるそう。
刃傷沙汰で投獄されて獄死という説や、天寿を全うしたという説、詳細は不明という説・・・など。今回の大河ではどんな風に描かれるのでしょうか。
刃傷沙汰といえば、今回登場した田沼意次の息子・田沼意知(おきとも)も、江戸城内で斬りつけられ、36歳で亡くなっています。斬った相手は旗本の佐野政言。動機は沢山あったようですが、幕府は「乱心」として処理。闇が深い。
今は「わが世の春」とばかりに、将軍さえも手玉に取ってやりたい放題の田沼意次。
以前、大河の「元禄繚乱」で、石坂浩二が吉良上野介をやっていて、もう嫌味な感じとか、説教臭い感じとか、ピッタリと思ったけど、今回の渡辺謙の田沼意次も、ハマっている。
余談ですが、先日夕方BSをつけたら、「独眼竜正宗」の再放送をやっていました。毎週月曜日の夕方6時から、NHK BSで放送中。あの頃の渡辺謙はかっこよくて好きだった。
渡辺謙も不倫だなんだで、すっかり「嫌な感じの人」になってしまったので(あくまでも、個人的に)今回の田沼意次も、いやーな感じがピッタリ!
だけど「独眼竜政宗」は本当に大好きで、今でも当時買ったNHKのガイドブックを持っています。表紙が取れて、ボロボロになるくらい何度も読み返した。掲載されている台本の一部「きこしめしておいでのご様子」なんてセリフ、頭にこびりついてますよ。
当時、山岡荘八の原作も全巻(文庫で5、6冊ありました)読みました。当然、仙台城があった青葉山公園に行って、「伊達政宗公騎馬像」にもお会いして来ました。
どんだけ好きなんだよ、ていうくらい伊達政宗は好き。伊達政宗が好きなのか、渡辺謙が好きなのか、よくわかなかったくらいだけど、今ならはっきり言える。渡辺謙は好きじゃない。伊達政宗が好きなんだって。