2025年のNHK大河ドラマとして放送の「べらぼう」の、「徳川家」に関する情報です。
「べらぼう」は江戸時代のメディア王と呼び声高い蔦屋重三郎の物語。
その蔦屋重三郎の人生に密接にかかわってくるのが時の徳川政権。
この時代の「徳川家の人々」も理解できないと、ストーリーが楽しめない。
4話で急死した田安家の2代目当主は「治察(はるあき)」。
寺田心が演じるのは、急死の治察の弟「賢丸(まさまる)」。兄が急死した事で、養子に行く話は取り消しに、いや、取り消しにはできないと二転三転。結局、賢丸は泣く泣く養子に行くこととなり、田安家は当主不在に。
黒幕は、いつも操り人形を楽しむ「一橋治済(はるさだ)(生田斗真)」。
治済の陰謀なのか?次期将軍候補だった家基は鷹狩りの際に16歳で急死。最側近の「じい」白眉毛の老中首座・松平武元(石坂浩二)も急死。
平賀源内の死すら「独自に家基の毒殺の真相に迫っていた」からではないか、と考察されている。
次期将軍(自分の息子)がなくなったことで、現将軍・家治(いえはる)(眞島秀和)は意気消沈。
そのあたりの「徳川家」の主要人物のみを、相関図にした。
大河ドラマ「べらぼう」NHK公式の相関図
NHKの「べらぼう」公式サイトにも、徳川家の相関図はある。
ただ、その相関図にある血縁関係は十代将軍・家治(いえはる)と、側室・知保の方、そしてその二人の間の子・徳川家基の3人だけ。
あとは大奥総取締や御三卿の面々が添えてあるだけ。
わかりやすいとは言えない。
↓NHK公式の相関図はこちら
【キャスト・相関図】徳川家
大河ドラマ「べらぼう」の徳川関連の女性たち
徳川御三卿の相関図の前に、徳川に関連する女性の登場人物も整理しておきたい。
まず存在感があるのが、冨永愛さんが演じる「高岳(たかおか)」。
実在した人物で、大奥総取締という大奥の最高権力者だ。
史実によると寺田心が演じる田安賢丸が、のちに松平定信(さだのぶ)となって老中に就任する際のこと。十一代将軍・徳川家斉(いえなり)から意見を求められた高岳は、定信の老中の就任に反対した。
その理由は、定信の実妹・種姫(たねひめ)が、10代将軍・徳川家治の養女となっているため。高岳は、将軍家の縁者は幕政に参与するべきではない、という考えだったと言われている。
この事から逆にわかるのが、高岳は「将軍家の縁者」ではない、ということだ。
そしてその『定信の実妹・種姫』もキーパーソンになる。
定信がまだ「賢丸(寺田心)」だった時に、妹として数回登場していた。
賢丸と種姫の実母はそれぞれ、田安徳川家初代当主の側室。初代当主・宗武の正室・宝蓮院(花總まり)は、実母ではないが、実父宗武の正室だから、この時代「母上」になる。「べらぼう」には落飾した尼僧姿で登場する。
田安徳川家二代当主の「治察(はるあき)」は、宝蓮院の実子だが若くして急死してしまった。
べらぼう公式サイトによると宝蓮院は「のちに松平定信となる賢丸(寺田 心)を、白河松平家の名君、「寛政の改革」を行った老中となるまでに育てた「母」。宗武の七女・種姫を次期将軍となる家基(奥 智哉)の正室にするため、十代将軍・家治(眞島秀和)の養女として送り込むのだが…。」とある。
次期将軍の家基は、鷹狩りで急死してしまったので、種姫が正室になることは不可能となった。宝蓮院の計画失敗である。
家基急逝後に、次期将軍として浮上してきたのが一橋治済(生田斗真)の息子・家斉(いえなり)。
その時すでに家斉には、薩摩藩8代藩主・島津重豪(しげひで)の娘・茂姫とという婚約者がいた。
茂姫は3歳のときに家斉と婚約し、江戸城内の一橋邸に移り住み家斉とともに養育されていたという。
ところが次期将軍の家基が急死したことで、家斉が次期将軍候補となる。
「将軍家の正室は五摂家か宮家の姫」
という慣例があったために、このまま大名の(しかも外様大名)の娘である茂姫と、次期将軍候補の家斉の婚約を進めるわけにはいかなくなった。
源頼朝と北条政子の娘「大姫」が木曽義仲の嫡男・義高と婚約していたのに、頼朝と木曽義仲との不和によって婚約破棄され、大姫はそれが元で悲しみのあまり病となり、二〇歳の若さで亡くなった話を思い出した。
しかし、時は江戸時代。さすがに鎌倉時代の悲劇は繰り返せない。茂姫はめでたく家斉と結婚できる。
茂姫をいったん、島津家とも縁続きであった五摂家筆頭の近衛家に養女に出し、名を改めて「近衛寔子(このえ ただこ)」として結婚。無事、十一代将軍・家斉の御台所となることができた。
なお、種姫や宝蓮院など、とかく「田安徳川家」の登場人物がクローズアップされるのは、蔦屋重三郎の人生に「のちに松平定信となる田安賢丸(寺田 心)」が深く関わってくるから。
若い頃は兄の急死や無理矢理の養子縁組で苦労続きだった田安賢丸。
しかし、養子先の白河松平家で賢丸は目覚ましい成長をとげる。
松平定信となって江戸の幕政の中心に返り咲いた賢丸は、寛政の改革の中心人物となる。
蔦屋重三郎はその寛政の改革で、大きな打撃を受けることになるのだ。
大河ドラマ「べらぼう」オリジナル徳川家関連相関図
「べらぼう」の時代に関連する「徳川家」と「徳川御三卿」の男子のみを相関図にした。
「徳川御三卿」は八代将軍・吉宗の子と孫からなる、将軍の跡継ぎを輩出することを目的に創設された徳川将軍家の一門。
大名として藩を形成することはなく、江戸城内に屋敷を与えられ、将軍家の家族のような扱いを受けていた。
なお、八代将軍吉宗と九代将軍家重は、「べらぼう」の時代すでに故人となっている。
九代将軍家重は、2023年に出版された歴史小説「まいまいつぶろ」で主人公として描かれている。
本の解説には、
「口が回らず誰にも言葉が届かない、歩いた後には尿を引きずった跡が残り、その姿から「まいまいつぶろ(カタツムリ)と呼ばれ馬鹿にされた君主。第九代将軍・徳川家重。」
とある。
Wikipediaによると家重の言葉が不自由だったのは脳性麻痺による言語障害ではないか、とある。その他にも重い障害があったと言われている。
それでも九代将軍・家重は、家治、重好(しげよし)という二人の子を成した。
家治が十代将軍に就任。
弟の重好は徳川御三卿のひとつ「清水徳川家」の当主となる。

この相関を見てわかるのは、みな「八代将軍・徳川吉宗の子孫」だということ。
養子の件で揉めている田安賢丸も、亡くなった兄・治察も、一橋治済(生田斗真)から見れば「いとこ」。そして全員が「八代将軍・吉宗の孫」でもある。
「べらぼう」では主に、御三卿の中の「一橋家」と「田安家」の対立が描かれる。
つまりいとこ同士だが、仲が悪い。
というか不気味な一橋治済が、人形を操るたびに、誰かが不審死。
一方、御三卿の中で最も出入りが激しいと言われたのが「清水家」。第九代将軍・家重の次男・重好が当主となった。
初代の重好に実子がなかったことから、このあとは将軍世子の弟ないし将軍の弟が幼少で当主に立てられ、御三家に転出した当主が相次いだこともあって、一時的な断絶を繰り返していくことになる。
なお次期将軍候補の家基を生んだ知保の方(高梨臨)は側室。
十代将軍家治の御台所(正室)は倫子女王(ともこ じょおう 称号は五十宮 いそのみや)。第113代東山天皇の孫、第119代光格天皇の叔母にあたる人物。
10歳で将軍家重の世子・家治との縁組が決定し、翌年京都から江戸へ輿入れしたが、34歳で亡くなっており、ドラマの中では故人になっている。
キーパーソンは生田斗真の一橋治済
誰かが急死する度に、人形をあやつる一橋治済(生田斗真)。
一橋治済は「怪物」「サイコパス」と評される人物。
少し前の男女逆転「大奥」では、仲間由紀恵さんが演じて話題になった。
次期将軍候補だけでなく、母と姉や孫たち(何人もの)まで暗殺したと言われているから、相当の「怪物」。
15話のラストでは、ついに「白まゆげ」こと松平武元(石坂浩二)まで急死してしまった。
反目していた「白まゆげ」と和解し、家基急死の真実にせまろうとしていた田沼意次(渡辺謙)も危ない。
ただ史実で田沼意次が急死という事実はないとわかっているが、その息子や孫たちは・・・
田沼意次と田沼家のその後は?
「べらぼう」では、重要人物として幕府要人・田沼意次も出てくる。
田沼意次は、石坂浩二演じる老中首座・松平武元が亡くなったあと、幕政を専横したが、嫡男・意知の暗殺事件を契機に、急速に権勢は衰えた。
嫡男が亡くなっていることから、その後、田沼家の家督は意知の子ども(意次の孫)に継承される。
だが、三人いた男子がいずれも次々と二〇代前半の若さで亡くなっている。
そのため田沼意次の甥の意致(おきむね)の子、意定(おきさだ)が家督相続人の養嗣子となって跡を継いだ。
しかし、意定までもが二〇歳で死去。意次の四男・意正(おきまさ)が養嗣子となって家督を継ぐ。 意定の没年が1804年。田沼意次の長男・意知の没年が1784年。つまり、およそ20年の間に「田沼家当主」となった若者が、次から次へと二〇代前半の若さで亡くなっているのだった。
意正が田沼家当主になった代でようやく安定。さらに、旧領である遠州相良への復帰を許され、若年寄(西丸)に就任。
このあとも田沼家当主は継承され、明治維新以降も続いている。