植松努(うえまつ つとむ)さんの本『「どうせ無理」と思っている君へ 本当の自信の増やしかた』を読んだので、読書感想文を書きます。
本当は、
「むーりー!」
が口癖のうちの子に読んでほしいと思って買った本だけど、あまり興味なさそうだったので、私が読みました。
小中学生の方にも読める、「どうせ無理」という呪文に負けない方法を教えてくれる本です。
「どうせ無理」と思っている君へ 本当の自信の増やしかた
植松努「「どうせ無理」と思っている君へ 」の読書感想文
何か、新しいことや、未体験のことを始めようと思っても、まず最初に、
「どうせ無理だけど」
と思ってしまう。
英語を本格的に学習しようと思っても「どうせ無理」、ならば韓国語を覚えてみようと思っても「英語で何度も挫折している私だから、どうせ無理」。
気分を変えて、昔やらやってみたかったギターを習ってみようかと思っても「この歳で、今更習っても、意味ない」。
だったらいっそのこと、これまで全く無縁だったスポーツ、テニスや、水泳や、何かを・・・・あ、スポーツジムに入会するでもいいかと思っても「無理無理。続かないし、怪我でもしたら大変だし、お金の無駄」。
そして、結局、休日はダラダラ寝転がって、テレビを見るか、本を読むしかない私。
なんで、人は、新しいことに「無理」「できない」「意味ない」「無駄」と思ってしまうのだろう。
歳のせい?
いや、若い頃から「どうせ無理」と思っていた。
若い頃にもっと「よし!やってみよう」という気分になれていたら、今頃私は英語をマスターし、ギターが弾けて、テニスや水泳もできる趣味人になっていたことだろう。
私に「どうせ無理」という気持ちを植え付けた人はだれ?
それは、ある時には親だったり、ある時には祖父母や親戚だったり、兄弟だったり、先生や友人だったり・・・ではないだろうか?
特に、私の親に関しては、残念ながら「無理でしょ」と言いがちだった。それはでも、嫌がらせや子供のやる気を削ぐためではない。親としては、子どもが挫折したり、傷ついたり、悲しい思いをしないように、
「あんたには無理なんじゃない?やめといたら」
と言っていたのだ。
良かれと思って、そう親は言うだろう。
そして、自分自身を振り返ってみれば、私自身も我が子に、「無理なんじゃない」「やめというたほうがいいんじゃない」「危ないからやめなさい」と言ってしまっていた。これが植松さんの言うところの「どうせ無理ゾンビ」だ。ゾンビに噛まれた人が、ゾンビになるように、「どうせ無理」と親から言われて育った人は、その人も我が子に「どうせ無理」と言ってしまう「どうせ無理ゾンビ」。
だからといって、危険なことや、明らかに失敗しそうなことを我が子に、
「どんどんやってみなさい」
と言えるかな・・・言えないだろうなあ・・・言いたいけど、それこそ「無理だ」なあ・・・と思う。
「やってごらん」というのは簡単だけど、いざ失敗した時に、誰が責任を取るのか?誰が心の穴や傷を埋めるのか?それを先読みして考えてしまうと、私自身が子どもに向かって、
「やめときなさい」
と言ってしまう。
作者の植松さんは、子供の頃から飛行機やロケットが大好きで、中学校の進路指導の先生に、
「飛行機の仕事の勉強がしたい」
と言ったら、
「お前の成績では無理だ。もっと真面目に考えろ」
と言われて、目の前が真っ暗になったという。
しかし、植松さんはあきらめなかった。「お前の成績では無理」と言われても飛行機やロケットをつくることを追い求め、ついにはロケットを本当につくれる町工場の経営者になった。
では逆に、植松さんに何ができたのか?無理と言われた少年が、夢を叶えた手段とは?
私は、この本を読んで、「無理と言われた夢を叶える手段」は、「あきらめないこと」だと思った。
無数の「どうせ無理ゾンビ」が襲いかかってくるのが、子供時代だ。
「無理」「やめろ」「バカ」「いいかげんにしろ」「目を覚ませ」、これらのプレッシャーに負けずに、自分の夢を「あきらめない」ためには、大変なパワーがいる。
この本は、ある種、その「あきらめないパワー」をどう培っていくか、の指南本でもある。
「無理だ」と言われたなら、
「じゃあ、今の自分に、何だったら出来るのか?」
を考えて、追求することで、「あきらめない」。
「やめろ」と言われたら、
「じゃあ、今の自分が、何だったら続けられるのか?」
を考える。
「お前の成績では無理」
と言われた植松さんは、自分が入れるレベルの大学に進学し「応用機械工学」を学んで、実際に飛行機やロケットの設計が出来るようになった。
それでいいのか、と、まるでコロンブスのたまごのように驚いた。
「いい学校に入って、いい会社に就職して、いい相手を見つけて結婚して・・」
なんていう、間違った固定概念を今すぐ捨てたほうがいい。
本当に良い人生をおくりたければ、そんな「モデルケース」のような人生を漠然と生きるのではなく、自分の「夢」を持って、その夢を叶えるためにあらゆる努力を続ける。そして、夢を叶えたあかつきには、人々の役に立つように、それを社会に還元する。これこそが「生きる意味」であり「生きる価値」だと気づいた。
学校に行かず、ユーチューバーをやっている少年がいる。
大人たちが口々に、彼の「学校に行かない」ことを否定的に非難し、悪く言う。
私も同じく、この本を読むまで、この不登校の少年に対して否定派だった。
しかし、植松さんの本を読んでいたら、だんだん「いい学校に行って、いい会社に就職して・・・」と植え付けられてきた人生設計が、実は、間違いなんじゃないか?と思い始めた。
学校に行かない少年が、いろいろ言うことを、論破しようとしてあれこれ言ってる人たちも、なんだか滑稽に見えてきた。
この本の本題とはズレるけど、彼も彼なりの夢やポリシーがあってやっていることなら、やったらいい、個人の自由だと思うようになった。
「どうせ無理」
とは、なんに対しての「無理」なのか?
「いい学校に入って、いい会社に就職して、いい相手を見つけて結婚して・・」
というモデルケースに対しての「無理」だとしたら、それはあまりに味気ない。
私達は、一人ひとりが違う個性と、違う人格と、違う夢を持った人類なのだ。
ひとまとめにさせられて、モデルケースの人生を押し付けられて、ゾンビのように生きるのは間違っている。
少なくとも「どうせ無理ゾンビ」になって、我が子に「無理」と言うのだけは、今すぐやめようと思う。
そして、自分自身も、本来描いていたはずの「夢」があったことを、もう一度思い出したい、と気付かされた。
作者の植松努さんとは?
植松努さんとは、北海道にある「株式会社 植松電機」の社長さんです。
植松電機はリサイクル作業用などの電磁石システムの開発、製造販売をおこなうと同時に、ロケットの開発もおこなっています。
植松社長が注目を集めたのは、世界中の著名人によるさまざまな講演会を開催・配信している非営利団体「TED」のスピーチではないでしょうか?
私も、NHKのEテレで放送されていたTEDのスピーチに感動して、植松さんの本を読んでみたくなりました。
スピーチは現在、動画でも配信されています。
また「「どうせ無理」と思っている君へ」、私は紙媒体の本を書店で買いましたが、電子書籍でも読めます。