田舎から上京して、早くも30年以上が経過した。
光陰矢の如しとは正にこのことで、あっという間の30年であった。
返す返すも悔やまれるのは、東京都心に住みたいという私の願いは、ついぞ叶えられないままだということである(泣)。
六本木や渋谷に住みたい
上京する前に、地元で私が毎日眺めていたのは雑誌から切り抜いた「原宿」や「表参道」の記事だった。
世田谷にある会社の寮に住むことになっていたので、とりあえずはそこでお金を貯めたら、1年か2年後には、
「六本木か渋谷に住みたい」
と思っていた。
渋谷に住んで自転車で原宿や表参道に買い物に行く。
ちゃんと働けばできることだと思っていた。
田舎者まる出しである。
実際には、上京して2年後、寮を出た私が移り住んだのは東京23区の外側にある、東京都〇〇市であった。
「六本木か渋谷に住みたい」
胸に秘めた私の野望は、誰にも語ったことはなかった。
さすがに2年も東京に住めば、普通の会社員が六本木や渋谷に住めるわけないとわかった。
当時、大流行していたトレンディードラマの主人公は、私と大差ない仕事をしているようだけど、代官山や青山のデザイナーズマンションに住んでいる。おかしいぞ、住めないだろう・・・。家賃はもちろんのこと、敷金礼金、いくらだと思ってるんだ。親が全額援助してくれているという設定なのか?こちとら全額自前で、なんとか〇〇市の木造モルタルの2階建てアパートに超すのが関の山だぞ・・・。
東京都心は遠くにありて思うもの?
なかなか夢は実現しない。
昼は会社で働きながら、土日にアルバイトもしたけれど、〇〇市のアパートから東京23区内に返り咲くのは無理だった。
それどころか、そこから数年後に東京都からさえ出てしまった私は、関東近県の〇〇市に越していた。
住まいこそ木造モルタルの2階建てアパートの1K物件から、鉄筋コンクリートのマンションの2Kとグレードアップしたけど、
「六本木が渋谷に住みたい」
なんて、もはや一生かかっても無理だと思い始めていた。
「せめて、世田谷に・・・それが無理なら、せめて世田谷まですぐそこの「二子新地」とか、「登戸」とか、なかんずく「武蔵小杉」へ・・・」
と頑張ってはみたものの、都心の暮らしどころか、東京周辺の街の暮らしすらかなわないのだった。
東京都心は遠くにありて思うもの、なのか。
東京はガラス窓の向こう
最近思うのは、自分がマッチ売りの少女なみに東京都心にあこがれているんだな、てこと。
マッチ売りの少女は窓の向こうから、温かい部屋の中を眺めて、震えながらマッチをする。
東京都心にも、目に見えないガラスのバリアがある。
上京してからの30年、私は結局、このバリアの外側から、マッチ売りの少女のように都心の暮らしを眺めていた。
そこは、厚いガラスの向こう側で、楽しそうにしている人たちは、私とは次元の違う人たち・・・。
私は心の中のマッチをする。
マッチの炎の中には、六本木ヒルズの最上階で暮らす、私の姿が浮かび上がって、私は弱い微笑みを浮かべながら、魂は凍死寸前。本当に、
「六本木か渋谷に住みたい」
という私の熱く燃えていた情熱は、風前の灯である。
シェアハウスという選択
今の時代は羨ましいことに「シェアハウス」という選択がある。
50代の私にはもはや、年齢制限があって住めない。
「東京都心に住みたいけど、家賃高いもんなあ」
と思っている20代、30代のあなたには、シェアハウスという選択があるんだよ。
私が20代なら、独身なら、迷うことなくシェアハウスに住んでいたと思う。
田舎で「六本木や渋谷に住むんだ」と胸踊らせながら雑誌の原宿特集を切り抜いていた頃の私には、二度と戻れない。
人生は不可逆的なもの。
たとえ、タイムマシンが発明されたとしても、30年前に戻った私が20代に若返ることはない。
不老不死や若返りの妙薬が発明されて、肉体的にも精神的にも20代に若返ることができたなら、都心のシェアハウスの「年齢制限」もクリアできるだろうか・・・。
あなたが20代で、東京都心に住みたいという希望があって、家賃を払える経済力があるなら、迷っていないでシェアハウスに住んだほうがいい。
私はおそらく、今後宝くじでも当たらないかぎり、東京都心はもちろんのこと、23区以内どころか、その周辺にも住めないのだから。
あなたには選択肢がある、都心のシェアハウスか、それ以外かの。
30年前の私には、選択肢はなく、部屋のグレードを上げたければ、家賃との兼ね合いで郊外へ郊外へと移住していくしかなかった。
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