2025年6月14日のBS NHKで放送の【特集ドラマ】「天城越え」に関する情報。
原作の小説、松本清張の「天城越え」のあらすじ(ネタバレ)と、実際のあった、事件に関して紹介する。
「天城越え」の映画版のあらすじを紹介しているサイトは沢山あるが、原作小説がそもそもどんなストーリーだったかの紹介は少ない。
そこで、電子書籍で原作を読んで、要約を紹介する。映画やドラマはいずれも、原作にプラスアルファして、オリジナルのストーリーが追加されている。

松本清張「天城越え」は実際にあった事件が元
私ら昭和世代は80年代から90年代にかけて、田中裕二が大塚ハナ役の映画版「天城越え」を、テレビ放送などで繰り返し見たものだ。
ハナが容疑者となって連行される場面、ドスの効いた声で、
「見えもんじゃねんだよ!」
と野次馬に叫ぶところが、何度見てもぞくぞくする私だった。
ただ、私に限って言えば、ぼんやりと「松本清張が創作した小説が原作」と長年思っていた。
ところが最近になって知った。松本清張「天城越え」はモデルとなった実際の事件があるのだ。
ここ数年、松本清張に関して掘り下げている私は、その多くの作品が実際の事件から着想を得て執筆されていることを知った。
であれば、松本清張の膨大な作品の中でも突出している「天城越え」にも、モデルとなった人物や事件があるのではないかと調べた。
やはり、あったのである。
『天城峠に於ける土工殺し事件』という、大正10年6月に起きた、少年犯罪による殺人事件だ。
「土工」というのは現在、差別用語として認識されるため使われなくなってきた言葉で、「建設作業員」とか「土木作業員」と言い換えるものである。
別名「天城山の土工殺し事件」とも言われる出来事で、ネットで検索しても出てこない。Googleの検索結果に表示される「AIによる要約」に至っては【小説「天城越え」に登場する架空の事件】と表示されるが、架空ではない。公開されている静岡県刑事の警察資料も見つけた。
実際の事件では犯人がおよそ2週間後に逮捕されている。
松本清張自身も、全集のあとがきの中で、
「材料は実際の「静岡県刑事資料」から採った」
と述べており、それを検証した文献もある。
文献は佛教大学のサイトにある、中河督裕さんという方が書かれた論文。
ネット上でも公開されているので、すぐに読める。
これを読むと、「天城越え」の一部は、ほぼ実際の事件の資料からの丸写しに近いものもあり驚く。
しかし実際の事件と、松本清張の「天城越え」には、大きな違いもある。
映画で田中裕子が演じた大塚ハナ。ドラマ化される際も毎回「ハナ役は誰がやるのか?」が話題になる。
この「きれいな女」は松本清張の創作である。
実際にあった事件では、犯人の少年と、被害者の土工しか出てこない。
これこそが松本清張の真骨頂なのだ。
「天城越え」が何度も映画化、ドラマ化されるのも、松本清張の創作部分が冴えているからではないだろうか。
▼検証の文献はこちら
松本清張「天城越え」の生成 : 『刑事警察参考資料』第四輯「天城峠に於ける土工殺し事件」から
上記の文献によると、松本清張が「実際の「静岡県刑事資料」から採った」と言及した資料も、データ化されたものが国立国会図書館のアーカイブにあり、公開されているというので探した。
確かにPDF形式で閲覧できる。
大正時代の資料なので、旧仮名遣いで読みづらいが、読めないことはない。
ただ、読めば読むほど気が滅入る資料でもある。
少年は土工に何度も「金を貸してくれ」と言い、無視されたあげくに「ない」と断られたことから殺害している。
『天城峠に於ける土工殺し事件』はPDFの20ページから。
▼国立国会図書館のアーカイブはこちら
刑事警察参考資料 第4輯 part1.pdf
松本清張「天城越え」あらすじ
「天城越え」は松本清張の『黒い画集』という短編集の中に収録されている。
以下、そのあらすじ。
「私」は、30年前「16歳の鍛冶屋の倅(せがれ)」で、下田から天城峠を歩いて湯ヶ島を通り、修善寺に向かった。朝寝坊を母にひどく叱られ、腹が立って、静岡の兄の元へ向かうために家出したのだ。
所持金は16銭だけ。下田、湯ヶ島と峠を歩く途中で出会った菓子屋のパンに5銭、呉服屋におごった餅代に10銭つかい、残りの所持金は1銭となる。
呉服屋に餅をおごったのは、夜道を一人で行くのが心細かったから、修善寺まで呉服屋に同行してもらえるものと思ってであった。
「私」と呉服屋はそのあと「土工」とすれ違う。
呉服屋は「ああゆうのは流れ者だから、気をつけないといけない」と「私」に忠告する。
修善寺まで一緒に行けるものと思っていた呉服屋は、用があるからと別の道に別れて行ってしまう。
陽は落ち、あたりは薄暗い。
「私」は、修善寺に行くにも、下田に引き返すにも、暗い峠で一人では心細いと思いはじめて、立ち止まってしまう。
その時、派手な着物姿の女が修善寺の方角から歩いて来た。
「私」は女を見て「ひとりで引き返す心細さが救われた」と思い、回れ右をして、いま来た道を引き返す。
静岡まで行くことをやめて、下田の自宅に帰る決心をしたのだ。
女の後ろを歩いていると、女が振り返り声をかける。下田まで行くという女と「私」は、一緒に峠を歩くことになる。
「私」は、女と会話しているうちに恋心のようなものが芽生えてきて「引き返して良かった」と思う。
やがて「私」と女は、一人の大男に追いつく。「私」が呉服屋と歩いていた時にすれ違った「土工」だった。
女は「あの人なんだろう?」と大男に関心を示す。「私」は「流れもんの土工ずら」と言って、呉服屋の「気をつけないと」という言葉を思い出し、早く追い越したほうが安全だ。万が一のことがあったら、私が女を守ってやろうと思う。
しかし、「私」の意に反して、女は土工に興味を示し「あのひとにぜひ話がある」と言って、「私」を先に行かせ、土工と何かを話す。
「私」は「また、追いつくから」という女の言葉を信じて歩いていたが、それきり女と会わないまま、下田の自宅に帰り着く。
それから30年が経った。
「私」がなぜ30年前のことを思い出していたかというと、現在印刷業を営む「私」のもとに「静岡県警察本部」のある課から「警察捜査参考資料」という本の印刷を頼まれたからだった。
おどろいたことに、頼まれた参考資料の犯罪例の中に、30年前の天城越えで遭遇した土工と、きれいな女と、私自身の事が書いてあった。
資料には土工がその夜殺害されたこと。容疑者として大塚ハナ(「私」が出会ったきれいな女)が逮捕され、取り調べを受けたこと。しかし物的証拠がなく、大塚ハナは無罪となり、検事も控訴しなかったこと。被害者の土工が流れ者であったため、最後まで身元が判明しなかったことなどが記録されている。
「私」は警察の資料を読み、きれいな女だと思った人が「酌婦と呼ばれる売春婦」だったことを知る。
数日後、警察本部の田島という元刑事が「印刷はできましたか?」とやって来る。
田島は、今は刑事部の嘱託になっているが、当時土工殺しの捜査を担当した刑事だと語り、「私」にしきりと事件当時の夜、殺害現場の近くにあった「氷倉」で誰かが一夜を明かしたのだという話をする。
田島は、当時は氷倉にあった小さめの足跡から大塚ハナを疑ったが、あの足跡は16歳の少年のものだと言って、「私」の目を覗き込む。
「犯人が今ごろ分かっても、とっくに時効にかかっている」
という田島の言葉を聞いた「私」は、唇が白くなる。
「私にはどうしても分からんことが一つありますよ。それは動機です。」
そう言い残して田島が去ったあと、「私」は、30年前の夜の事を回想する。
女と別れたあと「私」はもとの道に引き返し、女と土工を探した。歩き回るうちに、傍の藪から女のうめき声が聞こえた。女が土工に苛(いじ)められていると思った「私」は、女を助けようとするが、そうではないのだと気づく。土工と女が何をしていたか、おぼろに察しがついたのだ。
自分の女が土工に奪われたような気になった「私」は、女が去ったあと土工を切りつけ殺害したのだった。
「田島老刑事は、あの時の、”少年”が私であることを知っている」
と気付いた「私」は、衝撃を受ける。
松本清張「天城越え」の読書感想文
何も知らずに「天城越え」を読んだら、よくできた話だなと思う。
しかし、先に実際にあった事件「天城峠に於ける土工殺し事件」のことを知ってから、「天城越え」を読むと、本当にあったこと、創作の部分、その違いに感心する。
主人公が「きれいな女」と思った人。一説には川端康成の「伊豆の踊子」に対抗心を燃やした松本清張が、なんとしても「踊子」に匹敵する女の登場人物が必要と考えて、生み出した存在と言われている。
そしてその存在は、清純な踊子と真逆と思わせて、実は表裏一体の人物像なのではないか・・・というのはほぼ、佛教大学のサイトで読んだ中河督裕氏の検証。
とにかく、私の感想なんかより中河督裕氏がひとつひとつ実際の事件の「静岡県刑事資料」と照らし合わせて検証している考察を読んでいただきたい。
ゼロからこのストーリーを生み出したわけではないこともよく分かるし、そこに「きれいな女」という創作と、事件がお蔵入りして時効を迎えているものの、刑事は真犯人の目星をつけているという創作を付け足して(実話では犯人は即逮捕されている)、見事な作品に仕上げている、神業のような松本清張の腕にも感銘する。
ちなみに実際の事件での「動機」は金目的。16歳の少年が、天城峠で土工を殺害し、お金を盗んだという事件だった。
小説ではその動機が、「私」の淡い恋を踏みにじった男に対する怒り・・・という事になっている。
【追記】
NHK BSのドラマを観ていたら、少年がやけに若い。16にしては幼いなあと思ってNHKのHPを見たらの年齢が14歳に設定されていた。
原作と違うのかと思ったが、よく考えたら大正10年の事件である。当時の16歳ということは「数え年」の可能性が高い。私の祖母は明治生まれだったが、昭和の50年代になっても「私は数えで〇〇歳」と言っていた。戦前までは皆、年齢は数え年だった。
ということは少年の年齢設定が今の14歳でも不思議はない。つまり実際の事件も16歳ということになっているが、現在の満年齢で14歳の少年が事件を起こしたということなのだろう。
国立国会図書館のアーカイブにあった、小説の元になった警察資料を読み込んでみたら、犯人の少年は明治39年(1906年)の3月生まれ。事件が起こったのは大正10年(1921年)6月なので、やはり数え年で16歳。現代の実年齢では15歳であった。
警察資料の最後には「僅か十六歳の少年」が「大反れたる犯罪」を起こしたことは例がないと、驚きを持って記録されている。
また、ドラマ内にあった刑事が目撃者の少年を、容疑者として取り調べを受けている女(大塚ハナ)に引き合わせる場面や、少年が30年後に大塚ハナに再会する場面などは原作にはない。ドラマオリジナルのストーリーである。
▼二宮和也版「天城越え」はAmazonビデオで視聴できる

