2025年6月14日のBS NHKで放送の【特集ドラマ】「天城越え」に関する情報を調べていて驚いた(2026年7月11日・18日総合で再放送)。
ずっと「松本清張の創作」だと思っていた「天城越え」は、実は本当にあった事件を元に書かれた小説だったのだ。
なお「天城越え」は、こちらの「黒い画集」に収録されている短編のひとつである。
NHKで放送の最後にアナウンスされた「配慮すべき表現」についても、言及します。

松本清張「天城越え」の考察 元は本当にあった事件
【映画】田中裕子の「見せもんじゃねんだよ!」
私たち昭和世代は80年代から90年代にかけて、田中裕子が大塚ハナ役の映画版「天城越え」を、テレビ放送などで繰り返し見たものだ。
ハナが容疑者となって連行される場面、ドスの効いた声で、
「見せもんじゃねんだよ!」
と野次馬に叫ぶところが、何度見てもぞくぞくする私だった。
ただ、私に限って言えば、ぼんやりと「松本清張が創作した小説が原作」と長年思っていた。
ところが最近になって知った。松本清張「天城越え」はモデルとなった実際の事件があるのだ。
「天城越え」の元の話は本当にあった事件
ここ数年、松本清張に関して掘り下げている私は、その多くの作品が実際の事件から着想を得て執筆されていることを知った。
であれば、松本清張の膨大な作品の中でも突出している「天城越え」にも、モデルとなった人物や事件があるのではないかと調べた。
やはり、あったのである。
『天城峠に於ける土工殺し事件』という、大正10年6月に起きた、少年犯罪による殺人事件が元だった。
「土工(どこう)」という言葉は、現在は差別用語として認識されるため使われなくなってきた言葉で、「建設作業員」とか「土木作業員」と言い換えるものである。
NHKのドラマでも最後に「一部配慮すべき表現が含まれていますが・・・」と注意書きが出たのは、セリフで何度も出てきた「土工」という呼び方と思われる。
実際の事件は、別名「天城山の土工殺し事件」とも言われる出来事だが、ネットで検索しても出てこない。
「天城越え 原作 実話」などのキーワードでGoogle検索すると「作家の創作です」という答えが返ってくる。
確かに「天城越え」の少年・娼婦・土工の3人の話は、創作だ。
しかし「少年と土工」の事件は実際に、天城越えの舞台となった「天城峠(あまぎとうげ)」で起こっていた。
実際の事件では16歳の犯人がおよそ2週間後に逮捕されていることから、未解決事件でもない。
清張はこの事件を「未解決事件」と変えて、実在しない登場人物(娼婦)も加えて、小説にしたのだった。
松本清張自身も、全集のあとがきの中で、
「材料は実際の「静岡県刑事資料」から採った」
と述べており、それを検証した文献もある。
静岡県警察の資料を分析した論文がある
松本清張の、「天城越え」執筆に関する文献は、佛教大学のサイトにある、中河督裕さんという方が書かれた論文にある。
ネット上でも公開されているので、すぐに読める。
これを読むと、「天城越え」の一部は、ほぼ実際の事件の資料からの丸写しに近い部分もあって驚く。
しかし実際の事件と、松本清張の「天城越え」には、大きな違いもある。
映画で田中裕子が演じた大塚ハナ。ドラマ化される際も毎回「ハナ役は誰がやるのか?」が話題になる。
この中心的登場人物の「きれいな女」は松本清張の創作である。
実際にあった事件では、犯人の少年と、被害者の土工しか出てこない。
これこそが松本清張の真骨頂なのだ。
「天城越え」が何度も映画化、ドラマ化されるのも、松本清張の創作部分が冴えているからではないだろうか。
▼検証の文献(論文)はこちら
松本清張「天城越え」の生成 : 『刑事警察参考資料』第四輯「天城峠に於ける土工殺し事件」から
「天城越え」本当の事件の資料のPDF
上記の文献によると、松本清張が「実際の「静岡県刑事資料」から採った」と言及した資料も、データ化されたものが国立国会図書館のアーカイブにあり、公開されているというので探した。
確かにPDF形式で閲覧できる。
大正時代の資料なので、旧仮名遣いで読みづらいが、読めないことはない。
ただ、読めば読むほど気が滅入る資料だ。
少年は土工に何度も「金を貸してくれ」と言い、無視されたあげくに「ない」と土工に断られたことから殺害している。
『天城峠に於ける土工殺し事件』はPDFの20ページから。
▼国立国会図書館のアーカイブはこちら
刑事警察参考資料 第4輯 part1.pdf
松本清張「天城越え」あらすじ
以下、「天城越え」のあらすじ(要約)。
「私」は、30年前「16歳の鍛冶屋の倅(せがれ)」で、下田から天城峠を歩いて湯ヶ島を通り、修善寺に向かった。朝寝坊を母にひどく叱られ、家出したのだ。
所持金は16銭だけ。やがて天城峠で「土工」とすれ違う。
陽は落ち、あたりは薄暗い。
心細くなった時、派手な着物姿の女が修善寺の方角から歩いて来た。
「私」は下田まで行くという女と一緒に峠を歩くことになる。
やがて「私」と女は、一人の大男に追いつく。「私」が前にすれ違った「土工」だった。
「私」の意に反して、女は土工に興味を示し「あのひとにぜひ話がある」と言って、「私」を先に行かせ、土工と何かを話す。それきり女と会わないまま、「私」は下田の自宅に帰り着く。
それから30年が経った。
「私」がなぜ30年前のことを思い出していたかというと、現在印刷業を営む「私」のもとに「静岡県警察本部」のある課から「警察捜査参考資料」という本の印刷を頼まれたからだった。
おどろいたことに、頼まれた参考資料の犯罪例の中に、30年前の天城越えで遭遇した土工と、きれいな女と、私自身の事が書いてあり・・・・
ある事実に気付いた「私」は、衝撃を受ける。
松本清張「天城越え」原作小説の感想
何も知らずに「天城越え」を読んだら、よくできた話だなと思う。
しかし、先に実際にあった事件「天城峠に於ける土工殺し事件」のことを知ってから、「天城越え」を読むと、本当にあったこと、創作の部分、その違いに感心する。
主人公が「きれいな女」と思った人物は、川端康成の「伊豆の踊子」に対抗心を燃やした松本清張が、なんとしても「踊子」に匹敵する女の登場人物が必要と考えて、生み出した存在と言われている。
そしてその存在は、清純な踊子と真逆と思わせて、実は表裏一体の人物像なのではないか・・・というのはほぼ、佛教大学のサイトで読んだ中河督裕氏の論文にある検証だ。
とにかく、私の感想なんかより中河督裕氏がひとつひとつ実際の事件の「静岡県刑事資料」と照らし合わせて検証している考察を読んでいただきたい。
松本清張がゼロからこのストーリーを生み出したわけではないこともよく分かるし、そこに「きれいな女」という創作と、事件がお蔵入りして時効を迎えているものの、刑事は真犯人の目星をつけているという創作を付け足して(実話では犯人は即逮捕されている)、見事な作品に仕上げている、神業のような松本清張の腕にも感銘する。
ちなみに実際の事件での「動機」は金目的。16歳の少年が、天城峠で土工を殺害し、お金を盗んだという事件。おそらく現代の「闇バイト」にも匹敵するような、若者の胆略的な犯行である。
小説ではその動機が、「私」の淡い恋を踏みにじった男に対する怒り・・・という事になっている。
【追記】
NHK BSのドラマを観ていたら、少年がやけに若い。16にしては幼いなあと思ってNHKのHPを見たらの年齢が14歳に設定されていた。
原作と違うのかと思ったが、よく考えたら大正10年の事件である。当時の16歳ということは「数え年」の可能性が高い。私の祖母は明治生まれだったが、昭和末期になってもまだ「私は数えで〇〇歳」と言っていた。戦前までは皆、年齢は数え年だった。
ということは少年の年齢設定が今の14歳でも不思議はない。つまり実際の事件も16歳ということになっているが、現在の満年齢で14歳の少年が事件を起こしたということなのだろう。
国立国会図書館のアーカイブにあった、小説の元になった警察資料を読み込んでみたら、犯人の少年は明治39年(1906年)の3月生まれ。事件が起こったのは大正10年(1921年)6月なので、やはり数え年で16歳。現代の実年齢では満15歳であった。
警察資料の最後には「僅か十六歳の少年」が「大反れたる犯罪」(原文ママ)を起こしたことは例がないと、驚きを持って記録されている。
また、ドラマ内にあった刑事が目撃者の少年を、容疑者として取り調べを受けている女(大塚ハナ)に引き合わせる場面や、少年が30年後に大塚ハナに再会する場面などは原作にはない。ドラマオリジナルのストーリーである。
▼かつてドラマ化された二宮和也が少年役の「天城越え」はAmazonビデオで視聴できる

NHKドラマ生田絵梨花版「天城越え」の感想
これまでも「天城越え」は、何度もドラマ化されてきた。
事件の重要なポイントとなる「天城隧道(あまぎずいどう)」は令和の現在も現存しているので、ロケがしやすいのかも知れない。
天城という場所も、車で東京都内から3時間程度。日帰りできる場所なので、テレビ局も都合がいいのかもしれない。
しかし「流れ者の土工」とか「酌婦」とか、さすがにパッとイメージが浮かばない。
私も今、改めて調べてわかったことだけど「酌婦」というが、読んで字のごとく「お酌をする婦人」という意味ではないのだ。
大正〜昭和初期における「酌婦」とは、「居酒屋や銘酒屋などで酒の給仕をしつつ買売春を行っていた女性」だそうである。
今回の生田絵梨花版の「天城越え」では、回想シーンで大塚ハナがいわゆる「遊郭」のような場所で働く遊女であったような場面がある。だから土工を見つけて、体を売って金銭を得ようとしたその・・・なんと言うか・・・・迷いのなさがわからないでもない。
昭和31年に売春防止法が施行されるまでは、売買春は合法だった。
なので、大塚ハナが体を売ったことは警察では特に、罪には問われなかったのだった。
改めて考えると、そのあたりの異常さ、体は売ったけど殺してはいないから無罪という「大正時代ならでは」の時代背景を視聴者は理解した上で観ないといけない。
あと、原作では警察で取り調べされているハナのところに少年が連れてこられたり、30年後に再会したりというエピソードはない。松本清張原作の映画やドラマはわりと、付け足しやアレンジされて作られる。今の時代なら「原作と違う」「勝手に改変するな」となりそうなものなのに、なぜか松本清張はこれらの映画化、ドラマ化で、アレンジが多い。
松本清張原作の「疑惑」に至っては、原作では男性だった弁護士が、映画では岩下志麻演じる女性弁護士になっており、しかも当時ダスティン・ホフマンの「クレイマー、クレイマー」がヒットしたからなのか、よく似た設定の「離婚して、子どもと離れて暮らす女性弁護士」にされていた。結末も、原作とは違っていた。
これらのアレンジを、清張先生はどう思っていたのかな。ただ、どの清張作品も、だいたい映画やドラマでアレンジされているから、ある意味「松本清張あるある」でもあった。
田中裕子の映画「天城越え」だと、警察での取り調べがもっとひどくて、自白強要・拷問的な取調べ、たたいたり蹴ったりという暴力などもあった。戦前の警察では当たり前のこと。今でこそ事件で逮捕された人は「容疑者」と呼ばれるが、この呼称すら、昭和の末期頃までは、名前の呼び捨てや「犯人」とテレビのニュースでも言っていた。
つまり、逮捕=犯人というひどい決めつけ。調書も裁判もやる前から「逮捕されたってことはもう、犯人」として報道されていたのだ。
これを「あくまでも容疑がある人物だから、容疑者」と呼ぶようになったのは、平成時代になってからなんだよ。
それをふまえると、この時代(大正末期から昭和初期)の警察取り調べなんて、証拠も何もなくても、無理やり犯人にするくらい酷かったのだ。
映画ではそこの部分が、かなり強調されていた。語り草にもなっている、衝撃的な場面として、長時間の取り調べを受けたハナが極限状態の中で失禁してしまう場面もある。
あまりに衝撃的で、観終わったあとハナが結局有罪だったのか、無罪だったのか忘れてしまうくらい、取り調べの場面が記憶に残った。
▶映画「天城越え」はこちら
もちろんテレビ放送のドラマだから、そこまでの演出はなかった。
ちなみに、松本清張の原作には「大塚ハナを厳重取り調べたるところ」「さらに厳重に取調べを続行」という表記はあるが、殴る蹴るなどの描写はない。
まあ、これが令和の限界かな。
ドラマがつまらなかったというわけではない。ただ、あの警察のひどい取調べが、「天城越え」のある種代名詞でもあるので、そこがかなりソフトだったのは残念だった。

