映画『国宝』を観た。
かれこれ30年以上前のこと、職場の先輩に「歌舞伎大好き」な女性がいた。
有休や、半休をとって、歌舞伎に通いつめるその先輩女性を観ていて、
「歌舞伎って、そんなに面白いものなのか」
と思っていた。
歌舞伎と私
職場の歌舞伎好き先輩を横目に見ながら、自分もいつか生の歌舞伎を観てみたいなあと思っていた。
意を決して「歌舞伎入門」の本を買って、予習した。
和事・荒事、時代物・世話物、上方・江戸、立役・女形・・・・勧進帳に白浪五人男に助六・・・・基礎知識は頭に入ったが、歌舞伎座の敷居は高い。チケット予約をしようと試みて、その金額に躊躇する。
ぐずぐずしているあいだに歳ばかりとって、
「今更、歌舞伎初心者の私が、この歳で歌舞伎座デビューなんて・・・」
と尻込み。
結局NHKの「古典芸能への招待」とか「劇場中継」でしか歌舞伎を観たことがないまま、還暦間近の歳になってしまった。
映画「国宝」に足を運ぶ人の中には、意外と私のような「歌舞伎を観てみたいけど、なかなかその勇気が出ない」という人も多いのではないか。
あの「二人道成寺」のポスターを観ただけで、なにかワクワクする。観たくてたまらい気持ちになった。
映画「国宝」を観たいというよりも、それを足がかりにして、歌舞伎を観たい・・・と思ったのかもしれない。
映画『国宝』のデメリット
なんといっても「3時間」という長さである。
「大丈夫かな」
と心配になる。
飽きるとか、疲れるとかそういうことでなく、シニア世代にとっての最大の懸念は「トイレが近いから」という理由。私も最大の懸念は、そこ。
3時間の鑑賞は面白ければ何の問題もないけれど(実際、観たらそうだった)、途中でトイレに行きたくなったらどうしよう。配信やDVDなら一旦停止でトイレ休憩できるけど、映画館ではできない。
事実、映画館で見終わってから、トイレに駆けつけた。皆そうだったようで、トイレにはすでに行列ができていたから、自信のない方は出口近くの席を選ぶとか、エンドロールの途中でトイレに向かうとか、水分を控えるとか、対策を。
とはいえ連日の猛暑で、水分を控えたことによる熱中症も怖いから、ほどほどに。
実際に劇場で観た感覚では、3時間はあっという間だった。
体感では「1時間半」くらいだった。
原作を知らないので、まだ話は続くと思って観ていたらエンドロールになって驚いたくらいだ。
それくらい、夢中で観られる。
もう一つデメリットを挙げると、話に一部「手薄」な部分もあったこと。
主人公の喜久雄(吉沢亮)の人生に焦点を絞っていることから、脇の人物の人間像が薄っぺらく感じた。
特に、郷里の長崎から喜久雄を追って上阪してきた女性・春江の描き方など、なにかよく理解できないまま、終わった気もする。
観終わってからいろいろ調べたら、原作ではもっと掘り下げて春江の心情なども書いてあるというから、映画を3時間に収めるために、そこは割愛されたのかなと思う。
同じく歌舞伎役者の娘である彰子(森七菜)も、一時期はあれだけ喜久雄を支えていたのに、最後どうなったのかわからないまま終わる。俊介の母・幸子(寺島しのぶ)も、晩年はどうなったのかの説明がないまま終わる。
原作どおりに全てを網羅したら、3時間ではとても収まりきらないそうだ。
読んでから観るか、観てから読むか・・・・かつての角川映画じゃないが、原作も読まないと細部の人間関係は理解できない。
映像美とか、起承転結のエッセンスを3時間でぎゅっと味わうなら、映画で完結する。
ひとつの物語として楽しむなら、原作の理解も必須だと思う。
SNSで感想を検索したら、Netflixなどの配信系で何回かに分けたドラマ仕立てにして、もっと原作に忠実に画いてほしいという意見も散見した。
あと、テレビでしか歌舞伎を観たことがない私ごときが言えることでもないが・・・あれが歌舞伎と思った大間違いだ。
「国宝」で画かれるの歌舞伎の中でも「女形」に焦点を絞り、さらに劇中劇のほとんども踊っている場面。曽根崎心中で一部、セリフを言っている芝居の部分があるが、ほぼほぼ踊っている。
踊りさえ極めれば人間国宝になれるのか?そうではないと思う。歌舞伎は本来、ちゃんと筋書きのある物語を演じて、その一部に踊りがあるのだと思う。
喜久雄が代役を演じる場面で、半二郎から曽根崎心中のセリフを何度もダメ出しされて、練習する場面があるにはあるが、そこだけ。
「芸道もの」ならもっと、セリフ回しのダメ出し場面もあってもよかったはずだ。
映画『国宝』のメリット
私のような「歌舞伎を観たい」と思いつつ、観れないままこんにちに至るような者にとっては、歌舞伎とは何か、歌舞伎界で生きるとは何かをザックリ知ることができる。
劇中の「藤娘」や「二人道成寺」や「曽根崎心中」は、映画を観終わったら、
「今度は本物の歌舞伎界で観たい!」
という気にさせてくれる。
そして「眼福」「目の保養」、とにかく日本舞踊を観てこれほど「もっと観たい!」という気持ちになったことは初めて。
だから、帰宅してからYouTubeで本物の歌舞伎役者の踊りやなんかを観まくって、止まらなくなった(笑)。
最終的に「眼福すさまじい」と題された六代目尾上菊之助くんのこの踊りがもう、素人でもわかるほどの驚愕のクオリティ。
映画「国宝」からは外れている・・・・と思いきや、六代目尾上菊之助の叔母は、「国宝」で半二郎の妻役の寺島しのぶだから、そこで連動している。
映画を観る前に何かの映画評でも、
「この映画に寺島しのぶが出ていることが、リアルな歌舞伎界と映画をつないでいる」
と紹介されていた。
寺島しのぶさん本人はインタビューで、映画を観た息子さんから「てかさ、お母さんの役、まんまやん!」と言われたそう。
それを念頭に置いて観たので、寺島しのぶの部分は半分ドキュメントに見えた。
映画『国宝』の感想
とにかく私は宮尾登美子が大好き。
宮尾登美子といえば「芸道もの」と言われるジャンルに定評があった作家。
昭和の時代から宮尾登美子の「芸道もの」ジャンルの小説を読み漁り、映画化された作品を観続けてきた私としては、「100年に一本の壮大な芸道映画」と自ら名乗る映画「国宝」を観ないわけにはいかなかった。
が、先に言ってしまえば、宮尾登美子を超えたとは思えない。
「国宝」の中の「芸道」を現している場面は、子供時代の舞の稽古くらい。
渡辺謙演じる半二郎に棒で叩かれたり、罵られたり、バツを与えられたり。
そのあとに画かれるのは、人間模様ばかりで、「芸の道」を極めているか、いないかは二の次。そこは残念だった。
たとえ踊りが上達して、客が集まるようになったとしても、真の「芸道もの」なら、そこからが本番。
さらなる芸の上達、芸の高みを目指して研鑽を積む場面がほしかった。
迷走している主人公の浮き沈みは、ドラマ的には面白いけど、芸道としてはどうなのか。
真の芸道なら、たとえ落ちぶれても、復帰の道が絶たれても、日々研鑽を積むのでは、と思われる。
真の「芸道もの」というのは、人間関係や生き方に悩むのではなく、「芸」に悩む。
家族関係や友情、男女関係なんかそっちのけで、
「どうしても自分の『芸』が、上達しない」
ことに悩む主人公と、それに振り回される周りの人を画くのが「芸道もの」「芸道映画」。
高村光太郎は、彫刻家の父を超えるために、自分の彫刻家としての研鑽に日々と金銭を費やして妻をそっちのけにしていた結果として、妻・智恵子は統合失調症を発症してしまった。
ピカソはインスピレーションを得るために、妻がいながら何人もの女性を愛人にしてきた。
これらは一例で、まず芸術ありきで、その後ろで妻や愛人が泣いていてもおかまいなし。最終的に「作品」がすばらしいものになれば、お許しあれ・・・・的な話が「芸道もの」だと私は思う。
その点では「国宝」は甘いというか、優しいというか。
喜久雄を諦めた春江も、それなりに幸せを手に入れている。
高村光太郎と智恵子のような、不幸な感じではない。
これは映画というより、原作がそういう感じなんだろうな。
とはいえ、喜久雄と俊介の踊りの場面、芝居の場面(曽根崎心中)などは、劇中劇としても楽しめるし、映画としての見どころもある。
とくに後半の曽根崎心中。俊介が差し出した足がひと目見て「不健康な状態」の場面など、その後も予測しながら、胸騒ぎ、やっぱりそうか、まさかそうなるとは、というストーリー展開は思っていたようなものと違って、意外な結末だった。
「血」か、「芸」か、の結論としては、この物語では「芸」が勝るということだった。
しかし当然、現実では「血と芸」の両方に恵まれている事もあるわけで、とりわけ上記の「六代目尾上菊之助」なんか観てしまうと、そもそもそんなことを比較するものでもないかなと思う。
それにしても吉沢亮も横浜流星も、よくあそこまで踊りの稽古をしたものだと。
ホリエモンが「寿司職人が何年も修行するのはバカ」とか言って物議を醸したことがあったけど、「国宝」を観ると、踊りの稽古もそうなのか?と思わず言いたくなる。
映画の中では「血か芸か」みたいな部分があったけど、この映画自体が「何年も修行するのか、集中して短期でやるのか」の答えみたいにもなっていた。
もちろん、しつこいけど六代目尾上菊之助のYouTubeを見たら、数年練習して、化粧して、衣装着て、それなりに「本物っぽく」はできるけど、やっぱり幼少期から何年も修行してきた本物に勝るものはない、とわかった。
映画を観ただけなら「よく練習したわねえ、すごいわねえ」で終わった。
本物の歌舞伎役者を観ると、「やっぱり本物はすごいわねえ」に変わる。
つまり最終的には、本物を観るしかない、と。
余談だが、吉沢亮は大河ドラマ「青天を衝け」を観て大好きになった。
それでがんばって「キングダム」とか「東京リベンジャーズ」とか、彼の出ている映画を観ようと試みたのだが、世代的にどうしてもギャップを感じ、入り込めない。
「国宝」を観てようやく、吉沢亮をまた好きになることができた。
あの端正な「正統派ハンサム」なルックス、昭和生まれにはなぜか懐かしくもある。
まるで加山雄三や石原裕次郎みたいな、往年の映画スターを彷彿とさせる。
映画館(イオンシネマだった)でビックリしたんだけど、吉沢亮は同時期にもう一本、コミカルなバンパイアの映画も公開されているのね。
でもおそらくそっちは私には合わないだろうから、配信されたら観たいかな。