全女性に告ぐ「料理の手抜き論争」に怒る前に

手作り

 ポテトサラダから始まった2020年夏の「料理の手抜き論争」。

 コロナ禍というフラストレーションも合わさって、社会全体が次々と「これも手抜きか?あれも手抜きか?」という騒ぎになっている。

 それをテレビやネットが取り上げて油を注ぐものだから、ますますヒートアップして「次なる標的はどの料理か?」という、非常にバカバカしい展開に。

 本当にバカバカしい。

 惣菜のポテサラは手抜きか?という最初の話の時は、私も共感したが、冷凍餃子とか唐揚げまで話が広がってきたら、これはもう耳をふさいだほうが賢明だという気にすらなってきた。

 →ポテサラの時短料理レシピはこちら

 でも、どうしても黙っていられないので、老婆心ながら一言だけ言わせてもらいたい。



幕内秀夫「素食のすすめ」

 まず男女問わず・・・もう一回言いますけど、男女を問わず!!! 皆さんにぜひ読んでいただきたいのは幕内秀夫さんの「粗食のすすめ」という本です。今なら電子書籍で385円で読めます。

 1995年に出版された本ですからおよそ四半世紀前の出版物になります。

 この本に書かれていることは、一言でいうと「戦前の日本人が食べていた食事にもどせ」という本です。


粗食のすすめ 新版(プレミア健康選書) Kindle版

 幕内秀夫さんの本に関しては、批判的な意見も多々あります。

 今の時代、なんと言っても「ごはん=糖質」はとんでもない「健康の敵」ですから、戦前の日本人のようにごはんを沢山食べて、肉や乳製品、脂っこいものは少なめにという幕内さん独自の栄養学はバッシングされるわけです。

「こんなに炭水化物を沢山食べて、体にいいわけない」
「おかずは野菜と大豆中心で魚がほんの少し?肉は食べない?タンパク質が全然足りていないじゃないか」
「幕内氏は糖質制限に批判的?いまどき、何言ってるの?」
 もちろん、私も100%幕内さんの言っていることが正しいとも思わないし、実践してみたけど無理でした。

 やはり私は肉も卵も乳製品も食べるし、糖質制限もします。

 それでも、心の片隅にはいつも「戦前の食生活が理想」と思って料理したり、食材を選んだりします。

 幕内さんも本の中で、元々、日本人の食生活には「ハレとケ」があったと説いています。「ハレとケ」とは非日常であるお祝いなどの「ハレの日」と、日常生活である「け」があるという意味です。

 昔はハレの日にはごちそうを食べたけど、けの日(普通の日)には粗食だった。それが戦後、食生活が変化して「毎日がハレの日みたいなごちそう三昧の食生活になった」ということです。

 粗食をずっと食べていろというわけではなく、めでたい日やお祝いの時には「ごちそう」でいいけど、そうでない時は粗食で体をいたわったほうがいいという話です。

 つまり、私が言いたいのは「ポテトサラダ」だろが「冷凍餃子」だろうが「唐揚げ」だろうが、それはハレとケの「ハレ」の食事であり、手抜き料理かどうか論じる前に、そもそも「そんなもの少し前の日本人は、毎日のようには食べていなかった」ということです。

「論争」にしたがるマスコミ

 ワイドショーの街頭インタビューで「カラアゲは手抜きだしジャンクフード」と言った男性。

 あれを見せられて、「ひどい」「むかつく」「どこのどいつだ、特定してやる!」と腹を立てるのは、テレビ側の思うツボです。だまされないで。

 1000人の男性にアンケートして、950人の男性が「カラアゲは手抜き料理だ」と答えたときは、批判や議論が湧き上がってもいいと思います。だけど、あれはたまたま「かなり変わった考えの持ち主」もしくは「何か、ゆがんだ価値観の持ち主」のたった一人の男性が「珍発言」をしただけ。

 一部ではヤラセじゃないか、とすら言われているくらい、常識からは外れた考えがテレビで垂れ流しになっただけです。

 あれを見て憤るのは間違いで、正しくは、
「あんな人がうちの夫じゃなくてよかった」
 もしくは、
「あんな人とだけは、結婚しないように注意しよう」
 と思うのが正解です。

 ほとんどの常識ある男性は「カラアゲは手抜き料理」とは思っていないです。

 万が一、内心思っていたとしても、妻の前では言わないだろうし、ましてや全国放送のテレビで堂々と発言したりはしない。だって、自分にマイナスになる以外のなにものでもない発言だから。

 テレビ局としては「よくぞ言ってくれた」「いい画(え)が撮れた」「よーし、これを放送するといろんな意味で盛り上がるぞ」と思って、喜び勇んで放送したんだと思います。
 さらに、その放送が話題になって「よしよし!思ったとおりだ」「もっと盛り上がれ、いいぞいいぞ」と、今頃、番組の担当者はニヤニヤして「第二弾の「手抜き料理論争」街頭インタビューの企画書も書いちゃおうかなあ・・」と思っていることでしょう。

 だけど・・・い・ま・じゃ・ない!

 ポテサラ論争に上乗せして、珍発言を放送して、「料理の手抜き論争」をこの「コロナ禍」という非常事態にぶち上げようなんて思うこと自体、えげつない。

 論争にしたいなら、せめてもっと、平和な時にやれっての。

料理研究家の功罪

 戦後、日本人の食生活はどんどん欧米化したと言われています。

 戦前はごはん、味噌汁、煮物や和え物などの野菜料理、焼き魚、この程度のメニューを朝昼晩食べていたのが、朝はパンとスクランブルエッグとコーヒー、昼はハンバーグにサラダ、晩ごはんはグラタンにピザにパスタに・・・みたいな、多種多様な料理を食べるようになった。

 そこで、台頭してきたのが「料理研究家」と言われる人々です。

 初期の頃は、日本人に馴染みのなかったハンバーグやグラタンなどの洋食の作り方を、テレビの料理番組や雑誌の特集で教えるだけの存在だった料理研究家が、やがて人生やライフスタイルすべてにおいて「憧れの存在」になっていき、多くの主婦たちが料理だけでなくその生き方全体まで真似するようになった。

 私も、ある時期まではそんな主婦の一人でした。

 カリスマ料理研究家と言われる人の、レシピ本を買って料理を真似するだけでなく、カリスマ監修の調味料を買う、カリスマ愛用の料理家電も買う、カリスマ開発のお鍋やおたまも買う、子育てや夫との付き合い方まで真似する。ついには「この人どこに住んでいるのかしら?世田谷?渋谷?私も同じ街に引っ越したい」とまで思うようになる。

 だけど、誰を真似ても最後は「私には、あんなふうにはできない」という結論に至りました。

 ある時、ある女性作家のエッセイを読んでいたら「有名な料理研究家のお子さんとお話する機会があったのだか、お子さんから見たその料理研究家の女性はあまりいい母親ではなかったと聞いて、驚いた」と書いてあって、あの人かしら、この人かしら、と有名な料理研究家を想像しつつ、舞台裏をまざまざと見た気がしてがっかりした。

 それ以降は、どんな理想的な暮らしぶりの料理研究家を見ても、
「この人も、表向きはこんなこと言ってるけど、子どもから恨まれたり、家族からいろいろ批判されたりしてるのかも。ビジネスとして、素敵な人を演じているだけなんだね」
 と思うようになりました。

 料理のレシピや、手際の見事さは見習いたいけど、朝昼晩「映える」ような料理を作り続ける妻や母になることなんて、どだい無理。あれは作り上げられた絵空事なんだ、と気付かされました。

 だから、手の混んだ料理を毎日作っているとか、冷蔵庫の残り物を使ってちゃちゃっと料理しただけで絶品の何かが出来上がるとか、そういうのも「都市伝説」くらいありえない話だと思ったほうが万事スムーズに事が運びます。

 女性にとっては「カリスマの料理研究家みたいな生き方は、作られた幻想だから信じたり真似する必要ない」と言いたいし、男性には「そんな女性いないから。あれはフィクションだから、真に受けないで」と教えたい。

 あるいは、「カリスマ料理研究家とは、真似のできない特殊能力を持った人」くらいに考えないと、自分もなれるんじゃないかと勘違いして、どんどんお金を使ってしまう。

 なれないから、あんな風には。

 カリスマ料理研究家を悪者にしたいわけではなくて、あたかも「あなたもなれるかも」という感じで、レシピ本や雑誌やグッズを売りつけてくる出版社やグッズメーカーにだまされないで、と言いたい。私も散々夢見て、大金使ったんでね。

一汁一菜のすすめ

 戦前の日本人は、ごはんさえあればおかずは1品で良かった。

 料理研究家の土井善晴さんは「一汁一菜でよい」というお話をされており、本も出しています。
 本当に、支持されるべき料理研究家はこういう方だと思う。


一汁一菜でよいという提案

 バカみたいに朝昼晩、手の混んだ料理を作らなくちゃいけない・・・と思わせ、実際それをさせようとする料理研究家なんて、時代遅れですよ。

時代は「料理やめよう」という流れだ

 土井善晴さんだけじゃない。ここ数年「もう料理はやめようよ」という本は沢山出ていて、実際多くの人が共感しています。

 私もこの本に共感しました。「作りおき」とか、ほんとバカみたい。


もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓

 一汁一菜でいいとか、煮るだけ、焼くだけでいいとか、そういう食生活てなにも「令和の新常識」ではない。たかだか80年くらい前までの日本の大半の家庭料理は、そんなものだったのだ。

 最初に書いた幕内秀夫さんの言っている「戦前の食生活に戻せ」というのもそういうことで、戦後、GHQとともにドッと日本に入ってきた新しい価値観からの「洋食」や「タンパク質重視の食生活」なんて、それまで何千年も日本人が食べてた日本食とは遠くかけ離れた食事様式だから、そりゃ何千年も続けてきた米・野菜中心の食生活を捨てたら病気も増えますわ、ということ。

 戦後、肉や卵や乳製品を多用した洋風の食事がどんどん古い日本食を凌駕していって、日本人は完全に「伝統食」を忘れてしまったようだけど、今、一部の人が「一汁一菜」と言っているのは、ただ「原点に帰れ」と言っているだけなんです。

高度経済成長に見た夢なんだ

 だいたい、今の日本の経済状況を考えたら、のんびり手の混んだ料理を作っている暇なんてない。
 ましてや今後「新型コロナウィルス感染拡大」の影響で、倒産や失業が増え、ますます経済が冷え込むかもしれない時代に、手作りのポテトサラダや餃子を家庭料理で作っている人は、よほど裕福な人か、まったく社会情勢のわかっていない世間知らずな人のどっちかだろう。

 私なんて朝から晩まで「何か少しでも生活の足しになる事をして、1円でも稼がないと」と働き続けており、食事なんてファストフードとお惣菜と冷凍食品のオンパレードだ(え?粗食は?というツッコみはさておき)。

 妻は専業主婦で料理上手。毎日、手作りの美味しい料理を作って、ぼくの帰りを待っていてくれる・・・なんていうのは、日本が一番景気がよくて、仕事も沢山あって、早期退職もリストラも雇い止めもない年功序列制度バリバリの「高度経済成長」の時代の「おとぎ話」みたいなもの。

 いまだにそんな時代の夢物語を信じて、手料理を強要してくる男や姑がいたら、「時代遅れの世間知らず」とバカにしてやろう。バカなんだよ、つまりは。そんなこと言ってる奴らなんて。

「でも、本当に裕福だったら、奥さんがお料理する時間あるでしょ?」
 というあなた、本当に裕福な家庭の主婦はお料理しないから

 うちの夫の祖母は、まさに市原悦子のような「家政婦」を数年してたことがあり、超有名な一部上場企業の社長宅などで働いていたが、奥様たちはみな「今日は三越、明日は帝劇」というような暮らしぶりで、料理や掃除なんてしない。

「食事は妻か夫が作る。人を雇って作ってもらうような経済的余裕はない」
 という時点で、あなたに手抜き云々という資格はない。

 手抜きでない料理が食べたい男性は、妻にお願いしないで、もっと稼いで専属の料理人を雇ってください。それができないのなら、妻の料理を批判するのではなく、自分の稼ぎが無いことを嘆いてください。お前の経済力のなさを「料理が手抜きだ」というすり替えでごまかすな!

 惣菜のポテトサラダを買う親子も、冷凍餃子を焼く主婦も、唐揚げを揚げる奥さんも、だれもそのことを気にする必要は一ミリもない。むしろ、もっと手を抜け。一汁一菜でいい。

手抜き 料理 カラアゲ ギョーザ
↑緊急事態宣言中の2020年4月某日のうちの夕食がまじで「冷凍ギョーザと冷凍からあげ」のほぼ一汁一菜で草。
もうレシピ不要これでOK
 【時短料理】もうレシピはいらないお料理四分割法

 




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