明石家さんま萩本欽一に「俺をつぶす気か」と言わせた共演動画

 2014年2月1日に放送された「テレビ朝日開局55周年記念 超豪華!一夜限り!!バラエティ司会者芸人 夢の共演スペシャル!!」の情報です(追記:2022年11月20日の日本テレビ「誰も知らない明石家さんま 第8弾」では、この時のエピソードが再現ドラマ化されました)。

 爆笑問題の太田さんが、
「さんまさんが萩本欽一さんと共演した時の話」
 が気になったので、リサーチしてみました。

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萩本欽一と明石家さんまの共演動画

 番組内で、爆笑問題の大田さんが、
「さんまさんが欽ドン出た。そいで、全部持ってったんですよ、さんまさんが。欽ちゃんのやりたいツッコミ芸を、やらせないの、絶対に。全部自分がボケまくって、そいで客の笑い全部かっさらって・・・まあ、子供心になんてヒドイ奴だと思った」
 と言ったのを受けて、ココリコの遠藤さんが、
「俺もそれ動画サイトで見た。つい最近。もう俺寝れなかったですもん興奮して」
 と言っていた会話が気になったので、動画を探しました。

 ちなみに「欽どん」とは1980年代の初めころにフジテレビで放送されていた、萩本欽一さん司会のバラエティー番組です。

 おそらくこれだと思われる動画がこちら↓(削除されていることもあります)
 動画は削除されました。その当時の放送を、数年後に振り返って、さんまさんがVTRで見ている時のものなら見つかりました。

 見た印象は確かに、さんまさんはボケまくり、目立ちまくりで、欽ちゃんの出る幕がないという感じですね。

 『欽ドン!良い子悪い子普通の子』の放送が1981年4月6日から1983年9月12日までで、『さんまさんが出たのは終わりのほう」という情報があるので、1983年ころの放送でしょうか・・・と思っていたら、あとあと、「1987年2月16日から6週に渡り『欽ドン!スペシャル』が放送されました。」という情報を見つけ、以前動画サイトにあった動画も、この時(1987年2月16日)のものである可能性が高いです。

 およそ35年前ですが、驚くべきことにさんまさんの芸風が今のクオリティとほぼ同等ですね。

 私はそれよりもっと前、1970年代にヤングオーオーや初期の「ザ・マンザイ」(今のコンテストではなく、ネタ見せ番組)などに小林投手や堺正章さんのモノマネでさんまさんが出ていた頃から注目していました。

 地方都市に住みながら、大阪のラジオのMBS「ヤングタウン」を必死でチューニングして聴いていたばかりか、東京のニッポン放送の「ブンブン大放送」まで、雑音の多い中、毎週必死で聴いていたヘビーリスナーでした。

 当時は「視聴率100%男」などと言われていた萩本欽一さんですが、このあたりから徐々にフェイドアウトし、さんまさんやたけしさんが人気者になっていきました。

 昔読んだドリフの、いかりや長介さんの本に「ドリフの笑いは動きで見せる笑い」と書いてありました。欽ちゃんの笑いも似たようなところがあったのではないでしょうか。双方とも、ハプニング的な笑いはあまり良しとせず、きっちり練習して、打ち合わせて、リハーサルして、台本通りに作る笑いが世間にも受け入れられ、いかりやさんや欽ちゃんにもやりやすかった。

 しかしたけし、さんまの時代になって、突発的な出来事や、それに対するリアクションが求められ、いかに上手くアドリブで返せるかが芸人の腕と言われるようになった。

 おそらくこの欽ちゃんとさんまさんの共演は、その端境期にあった、世代交代の瞬間の一コマかもしれません。

 千代の富士が貴乃花に敗れて引退を決意したように、この頃の欽ちゃんは密かに、迫り来る次世代の笑いに自分は勝てないと思い始めていたかもしれませんね。

 私の記憶が確かなら、欽ちゃんがテレビで活躍したのって1970年ころから1985年ころまででした。約15年と考えると、今さらだけど意外に短いですね。

 それに引き換え35年前からこんにちまで、全く衰えることのない明石家さんまの「お笑いモンスター」っぷりに改めて驚愕します。

 それに、さんまさんは見た目も老けこんでいないというのもすごい。今でも女性から「きゃー」と言われているもの。

 ただこういう「天賦の才を持ったスター」て、裕次郎さんやひばりさんのように、若くして突然この世を去ったりするから、35年間第一線で突っ走ってきたさんまさんの健康状態が心配です。

 さんまさん、どうかお体ご自愛くださいますように。

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