※この内容は、2012年3月12日に私の旧ブログに公開したものの転載です。
先週の金曜、土曜とテレビで続けて観たある人が気になりました。
それは「吉野ママ」。
以前読んだ「日本のおかま第一号」という本にも、吉野ママこと吉野寿雄さんの若い頃のエピソードがありました。
「日本のおかま第一号」の本と吉野ママ
日本のおかま第一号―あなたは仕事に誇りをもっていますか? (ダ・ヴィンチブックス)
「日本のおかま第一号」とは、日本最初のゲイバーをつくった通称「お島さん」のこと。この本はお島さんをはじめとする、様々なサービス業のプロフェッショナルな方々を紹介している本です。
1999年の発行当時は「おかま」というキーワードも「あり」だったのかもしれませんが、後に改題され「サービスの達人たち」というタイトルになっています(内容は同じものです)。
「サービスの達人」は新潮文庫の電子書籍として現在も購入できるので、お島さんのことが気になる、読みたいという方は↓こちら。
サービスの達人たち(新潮文庫)
オネエ組合の組合長・吉野のママ
吉野のママ、2012年3月9日放送の「ぴったんこカン・カン」では、泉ピン子さんやミッツ・マングローブさんを前に、抱腹絶倒の昔話を語ってらっしゃいました。80歳とは思えない頭の回転と話術です。
そして翌日、土曜日にも日本テレビ「メレンゲの気持ち」で美川憲一さんのお店のシーンにチラリと登場されてました。
吉野のママはオネエ組合の組合長みたいな存在と紹介されていました。
「戦時中は木銃(ぼくじゅう=木の銃)を持たされて、え~ぃとやるのが辛かったわぁ。戦争が終わって、ぱーとひらけたわね。アンタ達はいい時代に生まれたわね」
と、同席したカバちゃんやクリス松村さんも神妙に拝聴するようなエピソードが満載でした。
私は以前からこの方、テレビで見かけた気もするけど、青江のママと吉野のママ、どっちがどっちか区別ができませんでした。
「日本のおかま第一号(改題・サービスの達人たち)」を読んでようやく、青江のママと、吉野のママを理解しました。
この本、吉野のママの本というわけではなく、サービス業に携わるプロ意識の高い人が9人紹介されています。一番有名なのはオードリー・ヘップバーンの靴を磨いたといわれる「キャピトル東急ホテルの靴磨き」の方でしょうか。
お島さんと吉野のママの関係
この中で「日本のおかま第一号」で「日本最初のゲイバーをつくった男」として紹介されているのは島田正雄(通称お島さん)さんです。
戦後間もない昭和25年に、新橋の烏森(からすもり)神社境内付近に日本最初のゲイバー「やなぎ」を開店したのが「お島さん」。
「やなぎ」はたちまち繁盛して、従業員として雇ったのがのちの「青江のママ」こと青江忠一さんと、「吉野のママ」こと吉野寿雄さんです。つまり「吉野ママ」は、日本で最初のゲイバーに従業員として雇われ、伝説のママ「お島さん」の元で働いていた人。
ただし、ネット上には「戦前の昭和初年には既に、ゲイバー・ゲイクラブはあった」という説もあり、必ずしも「やなぎ」が「日本最初のゲイバー」ではないと言われています。
▼くわしくはこちら
やなぎ (ゲイバー)Wikipedia
「吉野ママ」は、「やなぎ」のお島さんの元で修行をつんで、31歳で独立し銀座・数寄屋橋に「ボンヌール」を開店。1964年の東京オリンピック開幕間際、六本木に「吉野」を開店。
▼くわしくはこちら
吉野 (ゲイバー)Wikipedia
「オネエ戦国時代があったとしたら、おしまママは信長、秀吉が青江さんで家康が吉野のママかな。」
という、非常に興味深いブログ(2016年11月のもの)もあります。
▼くわしくはこちら
キヌブログ!
新宿5丁目の閉ざされたバー、LE QUINE GUINEの店主が綴る悲喜交々。
「ぴったんこカン・カン」の吉野ママのお話しによると、裕次郎や勝新をはじめとした当時の一流芸能人で六本木「吉野」は大変繁盛し、高倉健さんと長嶋茂雄さんの間で微笑む吉野ママの写真も紹介されました。
その後「吉野」は六本木ヒルズ建設に伴う立ち退き移転を迫られたため、2002年(平成14年)に閉店しました。
吉野ママは高倉健さんとは親交が深く、高倉健さん主演の映画「網走番外地」のシリーズには、吉野寿雄の名前で何作か出演されています。
網走番外地 [DVD]
青江のママのその後
「ぴったんこカンカン」で吉野ママが、
「オネエの末路はねえ・・・それ言われると私、一番困るわ。もう、私、弁解のしようがない。みんな、死んだりとか・・・あとは養護施設・・・・・・・だいたい養護施設よねえ。なんでかしら・・・・オネエって男に貢ぎすぎるのかしらねえ。これ(とOKサイン=お金の意味)貯めなきゃね」
とお話しされていた通り、吉野ママと並び称された「青江のママ」は平成7年~8年頃に養護施設でお亡くなりになったとのこと。
私の記憶が確かなら、平成の始めころは青江のママもお元気な様子で、上岡龍太郎さんが司会されていた深夜の情報番組「EXテレビ」などに出演されていました。そのあと数年で他界されていたなんて、ちょっと驚きです。
青江のママが半生を綴った著書「地獄へ行こか 青江へ行こうか―女より女らしく・青江ママのゲイ道一筋六十年」はすでに絶版となり、中古品は高値で取引されています。
地獄へ行こか 青江へ行こうか―女より女らしく・青江ママのゲイ道一筋六十年
ラジオ「安住紳一郎の日曜天国」
2023年の最新情報です。毎年恒例のTBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」の年末の放送に吉野ママが登場。
只今生放送中!
— TBSラジオ 安住紳一郎の日曜天国 (@nichiten954) December 17, 2023
◆ゲスト
伝説のジェンダー越え!
“吉野ママ”吉野寿雄さん
🔽ラジコ🔽https://t.co/Yexb3qTKnl#安住紳一郎 #中澤有美子#nichiten #日曜天国 #radiko pic.twitter.com/Oihlz5aadC
ラジコのタイムフリーでも視聴できますが、「日曜天国」公式You Tubeでも配信されています。
毎回「お島さん」や「やなぎ」の話は、「初めて聴く人に説明すると・・・」ということで話題になります。
今回も「昭和25年に『やなぎ』が開店した」などのお話しがあり、吉野ママの口から、
「まだ正式には食堂はできない時期で、お米も配給だったから、闇(やみ)でカツ丼とかカレーライスを作って売ってた。新橋には花柳界がありますから、そこの芸者さんとかが注文して、それをあたしがお茶屋さんなどに運んでいた、お運びガールだったの」
などのエピソードがありました。
「やなぎ」はもともと食堂だったけど、向かいの店はバーでいつも混んでいるのをお島さんが見て、「食堂じゃ儲からない、うちもバーをやろう」ということになり、徐々にゲイバーになっていったそうです。
当時お島さんは外国人の方とお付き合いしていたので、その方にPX(ピーエックス)からジンやウイスキーを買ってきてもらうことができた。ちなみにここで言う「PX」とは、日本に駐留していた進駐軍の売店のこと。当時のPXで日本人が買い物することはできず、進駐軍の外国人だけが出入りでる店でしがた、お島さんの恋人(?)の外国人にいわゆる「横流し」のようなことをしてもらってお酒を手に入れ、「やなぎ」で売った。食堂をやるにはコックさんなど雇う必要があったが、お酒を売るなら氷と水さえあれば商売できるから「(商売を)パッと切り替えた」のだそうです。
「食べ物は全部、コンビーフとかなんとかPXから闇で手に入ったから、多くの人が進駐軍と付き合ったんじゃないですか。服部和光が当時PXで、あそこの前へ行くとドーナツとかポップコーンの匂いがプンプンしてみんな、つられてねえ・・・・」
との吉野ママのお話しでした。
吉野ママのインスタもありますが、更新は止まっているようです。