2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」の「あらすじ」に関する情報です。
主に、分かりづらい幕臣、幕府要人、徳川家に関するストーリーを重点的に解説します。
大河ドラマ「べらぼう」第2話吉原細見『嗚呼(ああ)御江戸』のあらすじ
蔦屋重三郎(蔦重)は、吉原の案内本“吉原細見(よしわらさいけん)”で、吉原に客を呼び寄せる策を思いつく。
歯磨き粉「漱石香」(そうせきこう)は、平賀源内が宣伝文を書いたことで売れている。
そこで蔦重は、吉原細見の序文も、「漱石香」風に平賀源内に書いてもらいたいと考えた。
蔦重は、吉原細見の版元・地本問屋・鱗形屋孫兵衛(うろこがたや・まごべえ)に相談。
「(平賀源内を)説得できれば、掲載を約束する」
と言われた蔦重は、平賀源内探しに奔走する。
貧家銭内(ひんかぜにない)と名乗る男から「吉原で遊ばせてくれたら、平賀源内を紹介する」と言われた蔦重。
男を松葉屋に案内すると、他の客から「源内先生」と呼ばれている。
蔦重は、貧家銭内こそ平賀源内と気づく。
「自分は男一筋だ」という源内は、吉原での遊びに興味を示さず、なかなか序文を書こうとしない。
その様子を見て、機転を利かせる花の井花魁。
かつて源内の想い人だったが、亡くなってしまった歌舞伎役者の女形「瀬川菊之丞」。
花の井は、「瀬川菊之丞」を模した女形の扮装をして現れ、源内から序文の承諾を得る。
翌朝、ようやく源内から序文を受け取る蔦重。
版元・鱗形屋を訪れ、「細見嗚呼御江戸(さいけんああおえど)」の制作に着手する。
そのころ江戸城内では、一橋治済(はるさだ=徳川御三卿の一つである一橋家第2代当主)の嫡男・豊千代(のちの第11代将軍・徳川家斉(いえなり))の誕生を祝う盛大な宴(うたげ)が行われていた。
同席する老中・田沼意次は、一橋治済とともに人形師に扮して場を盛り上げる。
しかしその場にいた田安賢丸(たやす まさまる=徳川御三卿の一つである田安家当主・治察の弟。のちに「寛政の改革」を行う老中・松平定信・寺田心)は、不快感をあらわにする。
賢丸は、
「武家が精進すべきは、学問と武芸だ」
と田沼や一橋治済を非難し、怒って部屋を出て行く。
一部始終を目撃した老中首座・松平武元(石坂浩二)は、「感服した」と賢丸を高く評価する。
田沼意次は、
「右近将監(うこんのしょうげん)様(松平武元の官位)の言葉にこそ感服しました」
と慇懃に平伏して、松平武元の機嫌を取ろうとする。
「べらぼう」寺田心の役どころとは?
寺田心くんの役どころが、よくわからず、後半ぼんやり見ていました。
田安家というのは、徳川御三卿(ごさんぎょう)のひとつ。
寺田心演じる田安賢丸(たやす まさまる)は、田安徳川家の初代当主・徳川宗武の七男。
七男なら上に沢山兄がいるのでは?と思ったら、
長男 九歳
次男 五歳
三男 六歳
四男 一歳
とみな夭折。
田安徳川家の2代として家督を継いだ五男の治察(はるあき)も22歳の若さで急逝(4話のエピソード)。
生き残った男子は六男:松平定国(のちの伊予国松山藩の第9代藩主)と、七男の賢丸(のちの老中・松平定信)のみ。
ちなみにこの二人はのちのち不仲に。
六男・定国が七男の定信(賢丸)の政治方針に異論を唱えていたそうである。
この第2回では、まだ兄の治察が存命。
賢丸は1759年生まれだから、徳川家斉(豊千代)が生まれたこの年(1773年)は満年齢で14歳ということになる。
「べらぼう」に賢丸が登場するのは、のちに老中・松平定信となった賢丸が行う「寛政の改革」が、蔦屋重三郎と関わってくるから。
NHK公式サイトの賢丸の人物紹介にも『寛政の改革では、風紀の取り締まりから蔦屋重三郎に厳しい処分を科すこととなる。』とある。
徳川御三家と徳川御三卿の違い
「御三家」はなんとなくわかるけど、「御三卿」はよくわからず、調べました。
「歴史人WEB」によると、御三家は初代将軍・家康の男子をそれぞれ始祖とする。
家康の死後に徐々に形成され、最終的に格式が定まったのは5代将軍・綱吉の時代頃からとされる。
一方「御三卿(ごさんぎょう)」は、8代将軍・吉宗が独自に創設。
吉宗の次男・宗武を祖とする田安家。
4男・宗尹を祖とする一橋家。
9代将軍・家重の次男・重好を祖とする清水家である。
寺田心が演じる田安賢丸も吉宗の孫なら、一橋家第2代当主の一橋治済も吉宗の孫。孫同士ということは、いとこ同士でもある。
つまり御三卿は、徳川吉宗が「安定的な将軍位継承のため」に創設したと言いつつ、「あくまで自分の血筋で将軍家を繋いでいきたかった」ために創設したとも言われている。
「田安家にとっては、父・宗武(吉宗の次男)が果たせなかった将軍位継承は悲願」だったが、一橋家や清水家も将軍位継承を望んでいた。
結局、御三卿の家から将軍になったのは11代将軍・家斉と15代将軍・慶喜(慶喜は御三家の水戸家から一橋家に養子に入っている)で、いずれも一橋家。
御三卿の将軍位を巡る水面下のバトルが、「べらぼう」でも描かれている。
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【歴史人】徳川将軍家の血筋を繋ぐ「御三家」と「御三卿」とは
「歴史人」の解説を読んでようやく、寺田心くんの役どころがよく理解できた。
「賢丸の養子入り問題」に関する背景にしても「田沼意次の暗躍があった」とあり、なにかにつけて賢丸を遠ざけよう、御三卿から出して他家に行かせてしまおうという「陰謀」があったようである。
後年「松平定信(賢丸)は前任の田沼意次の政策をことごとく覆した」ともいわれており、今回の「怒って部屋を去っていく」エピソードも、史実か創作かはわからないが、早くも賢丸と田沼意次の間に、反発が生まれていた様子を描いたのだと思う。