2024年8月18日読んだ本「星とトランペット (講談社文庫)」より「月売りの話」の感想です。
「星とトランペット」は1984年に発売された作品。ノスタルジックな詩情あふれる短編を11編収録。
作者の竹下文子は1957年生まれの児童文学作家。1978年「月売りの話」で日本童話会賞受賞。1979年『星とトランペット』で第17回野間児童文芸推奨作品賞受賞。
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星とトランペット (講談社文庫)
竹下文子短編集『星とトランペット』より「月売りの話」のあらすじ
旅人のお話です。
どこかの国の、さびしい町を旅する旅人は、みすぼらしい宿屋にひと晩、泊まる事になります。
宿屋の部屋の窓辺に座り、ひどく疲れたと思う旅人。
「いたんでいるのは、心だろうか」
ほんのちょっぴりのやさしさを、ほしいと思う旅人でしたが、それすらも叶いそうにないと思った時に、「月を売る」月売りがやって来ます。
「わたしの家の庭でとれました」
という月を、月売りから買った旅人。
「心の疲れもなおせます」
月売りはそう言っていたけれど・・・
月売りから月を買った旅人は、その月を宿のテーブルの上に置いて長いこと見つめているうちに、眠くなって夢を見ました。
それは、
「お月さまほしい」
と泣くおさない子どもと、そのおかあさんの夢でした。
みすばらしい宿屋の部屋で、夢から目覚める旅人。不思議なことが起こっています。そしてしずかに、夜はふけてゆく。
竹下文子「月売りの話」の読書感想文
私は途中と最後、2度も泣いてしまった。
とても短い物語だから、何度でも読み返せるが、何度読み返しても2度、泣いてしまう。なんなら、読み返した時のほうが、泣ける。
涙が出る最初の箇所は、旅人がひどく疲れたと思いながら、窓辺で物思いにふけるところだ。
「親切なことばを一つきくまでには、つめたいことばをいくつもあびせられなければなりませんでした」
この一文が胸に突き刺さる。あまりに、共感してしまって、涙が出るのだ。
そして最後に、旅人が「むかしに捨ててきたふるさと」を思い出す場面で、もう一度泣く。「捨ててきた」って、まさに私じゃないか。
「ほんのちょっぴりのやさしさを、ほしい」
と思う旅人。本当に、作者は私の心を覗き見たのだろうか。作者はなんて、洞察力のある人だろうか。私も壮大な愛や、称賛や、富や名誉なんか欲しいと思っていない。「ほんちょっぴりのやさしさ」が欲しい。
「やさしさ」、このささやかで、軽くて、ふんわりしたことば。私もそんな「やさしさ」を「ほんのちょっぴり」でいいから、ほしかったのだと、作者に気付かされた。
しかし、その、ほんのちょっぴりのやさしさは手に入らないのだと、旅人が思った時に、月売りがやってくる。ここからは不思議なファンタジーで、最近読み始めた「百年の孤独」のマジックリアリズムに似たものを感じる。
あるような、ないような。でも、あるような。
そんなことは、どうでもいいのだと思えてくるほどに、月売りと、その「月」は輝かしく、美しく、かぐわしい。そして、旅人の見る夢までもが、光り輝く美しさをもって、目の前に広がっていくようだ。
こんな素晴らしい物語が、児童文学だなんて、もったいない。大人が読んでも、いや、大人こそが読むべき、素晴らしい物語。
どこからともなく、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」が聴こえてくるよう。あるいはものすごく澄んだ美しい歌声のなにか、あるいはハープの音色が奏でる美しいメロディかも。いや、私はやっぱり俗物だから「ホテル・カリフォルニア」か。
人はみな、旅人のように「人生」をさまよっている。
人はみな、窓辺で「疲れた」と思いながら、誰かが、何かを、自分にもたらしてくれないかと思っている。
旅人が見た「月売り」も「月」も、みすばらしい宿すらも、全ては「夢」だったのかもしれない。
だとしても、私もそんな夢を見てみたい。