鎌倉殿の13人|第31回「諦めの悪い男」一幡・千幡相関図

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 2022年8月14日NHK総合で放送の「鎌倉殿の13人」の「第31回 諦めの悪い男」に関連する情報です。

 鎌倉幕府第二代将軍の頼家が倒れ、後継者争いで北条氏と比企氏がもめました。

 三代将軍に推す人物が「一幡(いちまん)」と「千幡(せんまん)」という似たような名前で混乱しましたね。

 その部分だけを相関図にしてみました。
★北条時政(坂東彌十郎)の子どもたちの相関図はこちら>>>
 なお一部ネタバレとなっております。先のストーリーを知りたくないという方はご注意ください(あくまでも、歴史上の史実に基づくネタバレです)。

目次

「鎌倉殿の13人」第31回諦めの悪い男相関図

 相関図が大好きなわたくしは、今回の「鎌倉殿の13人」を観ながら、ネット上でわかりやすい相関図を探しておりました。

 しかし、NHKの公式サイトはもちろんのことながら、その他のサイトでも今ひとつわかりやすいものがありません。
 ドラマの中で一瞬映った相関図はわかりやすかったのですが、すぐに消えてしまったので、似たようなものを自分で作ってみました。

鎌倉殿の13人 大河ドラマ 比企能員の変

★北条時政の子どもたちの相関図はこちら>>>

「鎌倉殿の13人」一幡と千幡

 一幡は頼家の長男。母は比企能員の娘「せつ」です。
 乳母夫(めのと)は祖父でもある比企能員。

 頼家が倒れてしまったわけだから、当然、比企能員は娘が生んだ一幡を次の将軍として推してくるわけですね。

 一方、北条氏らが推すのが「千幡」。
 千幡の母は北条政子で、父は源頼朝、乳母夫は阿野全成ですが、亡き者にされてしまったため、実衣と父(千幡にとっては祖父)の時政が後見人です。

 「千幡」は資料によると「頼朝の次男」というものと、「頼朝の三男」というものがあります。

 北条政子と源頼朝の二人の間にできた子どもという意味では千幡は「次男」ですが、頼朝には側室・大進局(だいしんのつぼね)との間に「貞暁(じょうぎょう)」という子が生まれているので(7歳で出家)、千幡が三男と表記される場合もあるようです。

 ちなみに、この「千幡」が結局、「実朝(さねとも)」となって1203年に三代目将軍になるのですが、1192年生まれなので、今の年齢で11歳(当時の数え歳だと12歳)で将軍になったことになります。

 兄の頼家は1182年生まれなので10歳違い。「比企能員の変」が起こった時の頼家は21歳でした。

 そして「比企能員の変」から16年後の1219年、実朝と因縁の対決をすることになるのが公暁(こうぎょう)。幼名は「善哉(ぜんざい)」。母は頼家の正室「つつじ」で、乳母夫は三浦義村です。

「鎌倉殿の13人」一幡のその後は?

 比企能員が推していた「一幡」。

 結局、比企能員は殺害され、比企の一族も館に火を放って自害したと言われています。

 今回のドラマでは「一幡様は行方知れず」ということになっていましたが、残念ながら一幡も比企一族と共に滅んでしまいました。

 一幡の最後は、「『吾妻鏡』では一幡もその時(比企能員の変の時)焼死した」という説と、「『愚管抄』によると一幡は母(若狭局)が抱いて逃げ延びたが、11月3日になって一幡は北条義時の手の者によって刺し殺された」という説があります。

 くわしくは、次週の大河ドラマ「第32回 災いの種」にて描かれることでしょう。

 北条義時をもっと深掘りしたい方は、こちらの小冊子がおすすめ。イラストや漫画が沢山あって、北条義時を楽しく学べます。


Newsがわかる特別編 北条義時と鎌倉がわかる (毎日ムック)

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