松本清張『顔』原作ネタバレと2024年版ドラマ

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 2024年1月3日にテレビ朝日で放送予定のドラマ「顔」に関する情報です。

 「顔」は、1956年に発表された松本清張原作の短編小説です。過去に何度も映画化、ドラマ化されている作品で、その時々でアレンジされたストーリーになっています。

 今回の2024年版でも、公式サイトでは「現代版に大胆アップデート」と紹介されており、主人公も原作では男性ですが、2024年版は武井咲演じる女性になっています。

 そこで、原作のあらすじと、2024年のドラマ版の違いをわかる範囲で検証してみたいと思います。

 ネット上に「原作のあらすじ」と掲載されているものがありますが、読んでみると「あれ?なんか違う」というものもありました。原作のあらすじと言いつつ、映画やドラマのあらすじを紹介しているサイトもあるので、純粋にここでは「原作」をご紹介します。

 ネタバレになる部分もありますので「結末を知りたくない」という方はご注意ください。
 なおドラマのあらすじは「大胆アップデート」とのことなので、原作とは違う結末になることもあります。  

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目次
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松本清張『顔』原作の要約

 まず、短くまとめた原作『顔』の要約を紹介します。繰り返しますが、ネタバレをふくみますので、結末を知りたくない方はお読みにならないでください。

 松本清張『顔』は現在、電子書籍で購入できます。私も数年前に電子書籍で読みました。


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 松本清張といえば推理小説と思われがちですが、「顔」は推理小説やミステリーではないと思います。

 「刑事コロンボ」や、それを踏襲して作られた「古畑任三郎」などにある「倒叙(とうじょ)もの」「倒叙ミステリー」と言われる「犯人は最初からわかっているが、真相がわからない」タイプの物語です。


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 「倒叙」という言葉には「物事の時間的な流れをさかのぼって記述する」という意味があり、原作ではたしかにさかのぼって過去の事件が語られ、犯人の現在が描かれ、そして真相の究明へと進んでいくストーリーです。

 主人公は井野良吉という劇団員。

 井野は映画に端役で初出演が決まり、自分の「顔」が世間に広く知られる事に不安を感じます。なぜなら井野は9年前、大衆酒場の女給・山田ミヤ子を殺害しているから。井野が犯人であることは9年間、警察にも世間にもバレていません。しかし事件当時、ミヤ子が殺害される直前に、井野とミヤ子がいっしょに汽車に乗っているところをただ一人目撃している人物「石岡」がいる。自分が映画に出て、石岡が映画で自分の「顔」を見た時に、9年前のことを思い出して、警察に通報されたらどうしよう。井野はそのことを悩みます。

 井野が出演した映画の評判は良く、さらに次回作の映画出演が決まります。これ以上、映画の出演が増えると、石岡が「顔」に気づいてしまう。しかし役者として売れて、金持ちになりたい井野は、映画の出演を断りたくない。思い悩んだ末に井野は、石岡を呼び出して殺害する計画を立てます。ところが井野は、石岡を呼び出した先の京都で、指定した約束の場に行く前に、偶然にも石岡と相席することになります。

 京都名物「いもぼう」の店で、偶然にも石岡と井野は相席になります。井野は石岡の顔を覚えているので、すぐに正面の人物が石岡と気づきました、石岡は井野の顔を見ても無反応。その様子から、井野は「あいつはぼくの顔をはじめから、よく覚えて居なかった」と確信し歓喜します。安心した井野は、石岡殺害の計画を中止して東京に戻り、予定通り次回作の映画に出演します。

 映画が公開され、評判となります。石岡は映画館で、その映画を観ていて、汽車の場面で「どこかで見たぞ」と感じます。映画の中の井野を見て、9年前の記憶が突然よみがえった石岡は、警察に向かって歩き出します。
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 原作はここで終わっており、あとはご想像におまかせします、という感じです。

 ネットで原作のあらすじとして紹介されているものの中には、このあと警察に向かった石岡が事故死するとか、ミヤ子は実は妊娠していなかったとか、紹介しているものもありますが、そういったストーリーは原作にはありません

 石岡が警察に向かったあと、井野がどうなったのかも原作にはありません。おそらく映画かドラマのストーリーと、混同されているのだと思います。

 ドラマや映画でのみ、このあと逮捕される井野の場面などが追加されます。

 また、原作は昭和20年代が舞台で、電車ではなく「汽車」。テレビではなく「映画」。新幹線ではなく「夜行列車」など、戦後まもない時代の物語として描かれています。

 井野とミヤ子が乗っている「汽車」に、石岡が乗り合わせたのも「買い出し」のためです。当時の「買い出し」とは、今の単なるショッピングやお買い物という意味ではなく、生きるために食料品などをなんとかして手に入れるため、汽車に乗ってでも遠くまで買いに行くという意味です。井野とミヤ子が出会ったのも「買い出しの田舎だった」とあります。

 映画やドラマで「顔」がリメイクされた時は、原作の中の「映画出演の話」が「テレビ出演の話」になっていたり、井野が男の劇団員ではなく女優になっていたり、トップモデルになっていたり、「テレビ俳優と結婚した女性」になっていたり、さまざまにアレンジされています。


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 今回の2024年版に至っては、井野が女性になっているうえ、職業は「覆面アーティスト」です。

 また石岡は、原作では鉄鋼関係の会社の会社員の男性ですが、2024年版は女性弁護士で、演じるのは「30年ぶりのドラマ出演」が話題の後藤久美子

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2024年版ドラマ「顔」のあらすじ

 2024年1月3日にテレビ朝日で放送された「顔」のあらすじです。

 美しい顔と歌声を持ちながら、「顔を出さないこと」を条件に活動をする覆面アーティスト井野聖良(武井咲)。顔が出せないのは、彼女が「殺人犯」だったから。デビュー直前に「別れたくない」とリベンジポルノを予告し、井野聖良を苦しめた交際相手の森尾亘を、井野は殺害していたのです。

 一方、殺人を犯した現場から立ち去る井野を、唯一目撃していた人物が、弁護士の石岡弓子(後藤久美子)でしが、その時は強い逆光の中で、井野の顔がはっきりと見えていませんでした。人権派の弁護士である石岡は、娘の引きこもりをきっかけに井野と知り合いますが、殺人犯であることを気づきませんでした。

 石岡の娘が覆面アーティスト井野聖良のファンだったことから、石岡と井野は親しい付き合いをするようになります。やがて、井野は唯一の目撃者である石岡が自分のことを「殺人犯」であると気づいてないことから、テレビで顔を出してもかまわないと思うようになります。

 テレビの歌番組で歌う井野。スタジオで、彼女の後ろから演出のライトが当たったその瞬間、友人としてテレビの前でそれを見ていた石岡は、事件当日の山道で、逆光の中で目撃した「殺人犯」と、テレビの中の井野聖良とが同一人物であると初めて気づきました。

 石岡は急いで警察に通報。テレビ放送を終えた井野は、その場で逮捕される。

 ・・・・というのが、今回のドラマ「顔」のストーリーでした。
 私が原作と「大きく違う」と思ったのは、井野と石岡が親しくなり、何度も会っているところ。娘も交えて3人でピクニックに行ったりするあたりは、やりすぎでは・・・と思いました。

 過去のドラマなども同様に、井野が「女優」になっている場合、交際相手が酷い人間(ゲス男)だったという理由で「やむにやまれず、殺害してしまった」というストーリーにアレンジされていることが「顔」に関してはよくあります。

 原作の「顔」は真逆で、殺してしまった井野という男の方が自己中心的で、自分の成功のためなら殺人もいとわないという「ゲス男」です。

 原作は「ゲス男が犯罪を犯し、逃げ延びていたが、最後にはそれが露見して、ゲス男が痛い目に遭う」というストーリーなのに、多くの映像化作品は「ゲス男からひどい目にあっている女性が、仕方なく犯罪を犯してしまい・・・」というアレンジで、ストーリーの根幹からして覆されているものが多いです。

 原作を読んでいると、主人公の井野に対して「なんて酷い男なんだろう」という感情をいだきますが、「まむにやまれず」のドラマ版で「こんな男殺されても仕方ない」というほどアレンジされているのは、おそらく、女性を主人公にして華やかなストーリーにしたいからでしょうか?

 過去のドラマ化作品の中には、主人公の井野がそのまま男性のものもありますが、女性にアレンジして、殺害理由も「やむにやまれず」という理由にしたほうが、視聴者が主人公に同情や感情移入しやすく、ドラマとして見応えがあるのかな・・・・と思います。

 個人的には原作通りの映像化が望ましい。こんなにアレンジしてしまったら、もはや原作とは全く違う物語、と思っていますが・・・・そうなると華のない、地味で暗いドラマになってしまうから、テレビ的にはスポンサーなども難色を示して無理だろうなというのもわかります。

 余談ですが30年ぶりのドラマ出演となった後藤久美子さん。安定の演技でした(いろいろな意味で)。美貌は相変わらずでしたが、演技力の方も相変わらずというところがなんとも・・・・これ、若い頃のゴクミを知っている人なら、共感していただけますよね。

 私が後藤久美子さんを初めて見たドラマは、NHKの「続・たけしくんハイ」でした。


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 「続・たけしくんハイ」の頃の後藤久美子さんは、まだ小学生の役を演じていて、演技が固く、ぎこちなかったけど、そんなこと吹っ飛ぶくらいの美貌に目が奪われ、
「なにこの子役!すっごい美人!!」
 と、私だけでなく日本中が思ったもの。

 あれからウン十年。後藤久美子の美しさは今も健在だけど、演技力も健在だった。ある意味尊敬に値するほどのご顕在演技。

 実は後藤久美子がドラマに30年ぶりに出演するというので、演技力が気になって、前もって数年前に出演した映画「男はつらいよ お帰り寅さん」をサブスクで見ました。


男はつらいよ お帰り寅さん

 「お帰り寅さん」の出演では、冒頭で英語とフランス語を駆使して、国連の職員の役を演じており、演技力がいまいちわからなかったけど、日本語の場面になったら「安定の演技」だったので、あらら・・・と思っていたのですが、今回もそうだった。いや、別に、彼女の場合、それがもはや魅力なんだろうから、いいけど。

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松本清張『顔』のネタバレあらすじ

 さらに原作の、詳細なあらすじもご紹介します。気になった方はぜひ、原作「顔・白い闇 (角川文庫) Kindle版」もご一読を。

 主人公は井野良吉という劇団員で、「顔」はその井野の日記からはじまります。途中で突然「石岡貞三郎の場合」という小説形式になり、また「井野の日記」に戻ったり・・・という作風です。

 劇団員の井野良吉は、映画に出演。日記には映画に出るうれしさや興奮がある反面「不安」があり、気がかりになって落ち着かない様子が書き連ねられます。

 井野は役者として売れて、金持ちになりたいと思う反面で、映画の出演が増えることによって起こるかもしれない「ある可能性」におびえます。

 井野は過去8年の間、興信所を使ってある人物の勤め先や住所、妻や子どもの有無、引越し先や転職先などを調べさせ、年に1度報告書として郵送してもらっていました。井野がその人物と初めて会ったのは9年前の昭和22年。井野が大衆酒場の女給をしているミヤ子と汽車に乗っている時でした。

 話は9年前の昭和22年6月。
 井野は汽車でミヤ子と温泉津(ゆのつ)という場所にある温泉宿に向かう途中でした。


温泉津温泉 旅館ますや

 ミヤ子は汽車の中で偶然、知り合いの男を見つけ「石岡さん」と話しかけます。石岡という男は数分間汽車内でミヤ子と会話し、途中下車。井野はその間、窓の方を向いて煙草を吸い、知らぬ顔を続けていました。

 井野はミヤ子と汽車で温泉へ向かった翌月の昭和22年7月には東京に出て、劇団「白楊座」に入ります。9月、井野は東京で島根県の地方新聞を手に入れ、女性の死体が山中で発見されたという記事を確認します。さらに10月、北九州の地方紙を手に入れ、島根県の山中で発見された絞殺死体が、八幡市の酒場の女給・山田ミヤ子と判明したこと、直前にミヤ子が男と二人で汽車にのっているのを見た人がいること、八幡署が捜査していることを伝える記事を確認します。

 日記には9年前のあの時、ミヤ子が妊娠していたこと。自分があのような女と関係をもった事の後悔。ミヤ子という女性に対する嫌悪感やさげすみ。殺害すると決めたことなどが綴られていきます。「どんな手段をとってでも、ぼくは彼女を突き放して浮かび上がりたい」と思った井野は、最初からミヤ子殺害を計画して、温泉に連れて行くと嘘をつき、汽車で北九州から島根県に向い、寂しい山林の中でミヤ子を殺害したのでした。

 井野はミヤ子を殺害したあと、すぐに上京して劇団員となりますが、あの時、汽車でミヤ子が会話した「石岡」だけが気がかりでした。井野は石岡が警察に「その男を見ました」と吹聴しているに違いないという思い込みから、この8年間、興信所を使って石岡の消息を調べさせていました。石岡が九州八幡に定住する限り、東京にいる自分は安全と思っていた井野ですが、映画の出演が増えることで「石岡が映画でぼくを観たら・・・」という不安にかられます。

 それでも最初の映画は出番も少なく、何事も無かった。しかし次回作は、前作とは比較にならないほど「ぼくが大きく出る」。井野は、今度こそ映画を観た石岡が、自分の顔を見て9年前の汽車でミヤ子といっしょにいた男だと気づくはずだ。こうなったら自分がいる東京と、石岡がいる八幡のちょうど中間地点となる京都に呼び出し、青酸カリを使って殺害するしかないと計画します。

 井野は自らを偽って「名古屋に住む山田ミヤ子の親戚」と名のり、ミヤ子殺害犯の疑いがある人物が京都にいることを突き止めたので、いっしょに人物を特定してほしいから、京都まで来てくれないかという手紙を石岡の自宅に郵送します。手紙を読んで何か変だと思った石岡は、地元の刑事に相談。手紙を読んだ刑事も、石岡の住所など詳しく知っている手紙の差出人こそ怪しいという直感から、石岡と刑事二人で京都まで行って、手紙の主を確かめることになります。

 石岡は刑事二人とともに、京都に向います。井野も石岡殺害のため京都に向います。

 早めに京都に着いた石岡と刑事は、指定された待ち合わせの時間まで食事をしようと、京都名物「いもぼう」の店に入ります。実は、井野も全く同じで、手紙で指定した時間まで余裕があったので、「いもぼう」の店で食事をしていました。


いもぼう 平野家本家

 店の女中が3人の客を相席させてもいいかと井野にたずね、井野はうなずいたものの、真正面に座った男が石岡だと気づいて驚きます。

 井野の顔からは血の気が引き、体はふるえ、箸を持つ手は動かなくなります。

 しかし、数分後、石岡がこちらを見たにもかかわらず、驚いたり、騒ぐこともない様子を見て、井野は確信します。「あいつはぼくの顔をはじめから、よく覚えて居なかったのだ」と。

 有頂天になった井野は、試しに石岡に「マッチをお持ちでしょうか?」と言って火をかりますが、それでも石岡の様子に変化がないので、店をあとにして大笑いし、涙まで流して喜びしました。井野は京都での石岡殺害計画を中止にして、東京に戻ります。

 石岡と二人の刑事も、約束の場所に手紙の主が来ないことから、「勘づかれたのだろう」という結論に達し九州に帰ります。

 井野はこれまでの「石岡が自分の顔を覚えている」という不安が無くなったことから、堂々と2作めの映画に出演します。映画が封切られると、さらに次回作の出演依頼もあり、人生がだんだん望み通りになってくることに喜びます。

 そのころ石岡は、ある映画を見て、汽車の中の場面で「どこかで見たぞ」と思います。映画の中の役者が、汽車の中で、煙草を吸いながら窓の方を見ている横顔に、思わず大声を上げる石岡。映画館を飛び出した石岡は、警察に急いで向います。

松本清張「顔」の感想

 この小説が最初に書いたように「倒叙(とうじょ)もの」「倒叙ミステリー」たるゆえんは、すでに9年前に殺人事件が起きているという点と、犯人は劇団員の井野であるという事が早い段階からわかっている点です。

 では、この小説の倒叙ものの特徴「犯人は最初からわかっているが、真相がわからない」の「真相」はどの部分か?「真相」とは、唯一の目撃者である石岡が、犯人の疑いのある井野の「顔」を覚えているのか、いないのかという点。これが最後まで明かされないので、最初に読んだ時はどうなる?とハラハラしました。

 京都の「いもぼう」の店の場面では、完全に井野の顔を認識でない石岡でしたが、後日、映画の中で汽車に乗って煙草を吸う井野を見て、記憶が鮮明に蘇り、結論として「真相」は「顔を覚えていた」ということになりました。

 よくお笑い芸人の方が「笑いは緊張と緩和」とテレビで言いますが、この小説も「緊張と緩和」のテクニックが使われていると思いました。

 主人公の「このままだと目撃者に顔と名前がバレてしまう。だから殺すしかない」という緊張が続いたあと、偶然出会った「いもぼう」の店で、相手が無反応という「緩和」があり、読者はそこで安堵感だったり、あるいは落胆だったりを感じるのではないでしょうか。しかし、最終的に目撃者が「顔」に気づくことで、物語は「緊張」した状態で終わっています。

 推理小説なら最後に、犯人が逮捕されて「緩和」で終わるのでしょうか、なんだか松本清張の小説はどれも、結末まで描くこともなく「緊張」で終わる話がよくあります。

 桃井かおりと岩下志麻で映画化され、ドラマ化も何度もされている松本清張の「疑惑」も、原作は緊張状態のまま終わっています。

 解決しないまま、不安な感じの余韻を残すのが、いかにもな松本清張ワールドだと思いました。

 また、原作に関しては矛盾点も指摘されています。

 ミヤ子殺害のために温泉地に向かった井野ですが、原作では温泉宿に一泊して、翌日寂しい山林の中で殺害しています。井野とミヤ子が二人でいたのを目撃したのは石岡だけということになっていますが、宿泊した温泉宿にだって人がいただろう、二人で一泊していたのなら、宿の人間も目撃者になるだろうに、というものです。

 また、井野は石岡を「観光地で殺害しよ」を決めて京都に呼び出します。その理由は、石岡を人のあまり居ない場所に呼び出して殺害したいが、そこまで連れて行くのが困難だ。観光地ならそれができる。さらに二人で歩いているところを目撃されても、観光地なら怪しまれない、という理由です。

 井野はわざわざ一人で京都に下見に行って、比叡山の一角に観光地であるは人があまり居ない場所を見つけ、ここにしようと決めます。このくだりがとにかく長くて、井野の「石岡を比叡山で殺害する妄想」などが長々と続きますが、結局はあらすじのとおりで何もせずに東京に帰ります。この長々と書いてある京都の計画が、結局は妄想に終わる点なども、なんだか話を水増しされているような読後感です。

 とはいえ、それもこれも松本清張。今に始まったことではない(笑)。かつて私が「点と線」を初めて読んだ時に、そのトリックを知ってガッカリしたことが、昨日の事のように思い出されます。

 およそ30年以上前ですが、「点と線」をよんでガッカリした私は、
「なんだよ、松本清張の小説って!なにが推理小説だよ、二度と読まん!」
 と腹を立てたものです。

 しかし、松本清張の面白さはそこが入り口なのです。ジワる松本清張の世界。「なんだこれ」と思ってからが、松本清張の真骨頂。松本清張の沼は、そんなガッカリ感くらいでは抜け出せない、深い深い沼であることを、30年後の今、私は知っています。

もうひとつの映画「顔」とモデルとなった実際の事件

 松本清張の小説には、モデルとなった実在の事件がベースになっているものもあります。例えば「疑惑」は、実際にあった保険金殺人の事件が元となっています

 ふと、松本清張の「顔」も元となった事件があったのかな?と思いましたが、こちらはありませんでした

 しかし、まさに事実は小説より奇なり。松本清張が「顔」を書いた1956年から26年後、ひとつの殺人事件が実際に起こります。

 キャバレーのホステスが、同僚ホステスを殺害して家財一式を奪った強盗殺人と、その遺体を山中に遺棄した死体遺棄事件です。

 容疑者となった女は、自分の「顔」が指名手配書になって全国に貼りめぐらされていることを知り、整形手術で「顔」を変え、逃亡。容疑者は幾度となく偽名を使い、美容整形を繰り返して「7つの顔を持つ女」とまで呼ばれましたが、時効直前の1997年、テレビの公開捜査がきっかけとなりついに逮捕。

 そうです、あの福田和子の「松山ホステス殺害事件」です。

 福田和子が逮捕された時、松本清張はすでに他界していましたが、ご存命ならさぞかし・・・・と思われる事件でした。

 この「松山ホステス殺害事件」も「犯人の顔」が大変重要で、逮捕前には実際の「7つの顔」を掲載した指名手配のポスターなどを街で見かけたものです。

 今回、松本清張の「顔」をいろいろリサーチしていて、藤山直美さん主演の映画「顔」のデータも出てきたので、思い出しました。

 藤山直美さん主演の映画「顔」はこの「松山ホステス殺害事件」が元になっているストーリー(といってもかなりアレンジ)です。松本清張「顔」とは全くの別物ですが、こちらは実話だけにたいへん興味深い映画でした。


あの頃映画 「顔」 [DVD]

 ただ個人的には、より実話に基づいた、寺島しのぶさん主演のドラマ「福田和子 整形逃亡15年」のほうが見応えがあった。寺島しのぶの「福田和子の再現性」がすごくて、放送当時ちょっとした話題になりました。こちらはDVDも配信系もないようなので、見られないのが残念です。

 繰り返しになりますが、藤山直美「顔」の原作は松本清張ではなく、実際にあった「松山ホステス殺害事件」がもとになっています。松本清張さんがご存命なら、きっと清張先生もこの事件を元に「疑惑」のような作品を書いた・・・かもしれません。

 ドラマ『おっさんずラブリターンズ』第1話のあらすじはこちら

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