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映画『ゆきゆきて、神軍』のあらすじと感想

 アマゾンビデオで「ゆきゆきて神軍」を見た。
 原一男監督の1987年のドキュメンタリーだ。

 公開当時、話題になった。
 1987年と言えば、私の上京した年である。しかも、単館上映されていた渋谷のユーロスペースは、勤め先のあった道玄坂の目と鼻の先である。

 行こうと思えば、行けないことはなかったが、行かなかった。

 数年後、レンタルビデオ店にあるのを目にした。借りたいと思ったが、借りなかった。手にとって、貸し出しカウンターに持っていく勇気がなかったのだ。

 映画評論家などの解説は、沢山目にしていたので、作品の内容は知っていた。

 いつか観ようと思ったまま、気づいたら40年ちかくが経過していてびっくりだ。

 2025年は終戦から80年の節目。今、観なくて、いつ観るのか。

 ある意味「日本人ファースト」の対局にいるような人物のドキュメンタリーである。

目次

映画『ゆきゆきて、神軍(しんぐん)』のあらすじ

 一言で言えば、太平洋戦争の戦争責任を問う内容。

 奥崎謙三という人物の、「怒り」に焦点を当てたはずが、途中からミステリーというか、松本清張の社会派推理小説みたいになってくる。

 昭和天皇の戦争責任を問うはずが、途中から、戦時中に奥崎氏が所属した部隊で「部下の射殺事件」があったとわかり、その首謀者は誰なのかを追求する話に変わっていく。

 関係者の自宅を、一軒一軒「アポなし」で訪問する奥崎氏。
 当時のことを根ほり葉ほり、元隊員に質問するが、誰も真実を語ろうとしない。

 途中からは「射殺事件の被害者」の親族も同席して、
「思い出して欲しいんですよ○○さん、あの時、何があったのか。兄の真実を教えて下さいよ」
 と、涙ながらに元隊員を追求する。

 奥崎氏はある時は平身低頭して、真実を語ってほしいと懇願する。ある時は激高して、元隊員に殴りかかって態度をなじる。

 この時点で戦後35年が経過しており、多くの元隊員は、
「今さら、そんな昔のこと、蒸し返されたくない」
 と言う。

 奥崎謙三と言う人は、昭和天皇に向かってパチンコ玉を発射して、実刑判決を受け服役していた人である。
 理由は「昭和天皇に戦争責任がある」から。

 ある種まっとうな意見でもあるが、だれも面と向かって昭和天皇に「戦争の責任をとれ!」とは言えない。

 だから一部では「よくぞ、やってくれた」という賞賛もある。本人も映画の中でパチンコ事件のあと、服役を終えたら「商売の売上が3倍になった」と語っている。

 一番戦争責任が重い人物が、責任をとっていないではないか、という怒りが常にある。

 奥崎氏、基本は低姿勢で、言葉遣いも丁寧。物腰もやわらかい。元隊員の自宅をアポなしで訪れても、頭を下げ、腰を深く折って「終戦当時の事を思い出してはいただけないでしょうかね。話して欲しいのですよ」と平身低頭懇願する。

 しかし相手が、
「もう30年以上前のことだからね、忘れてしまった」
 とか、
「あの出来事に関しては言いたくない。墓場まで胸にしまっているつもりだ」
 と言い出すと、飛びかかって胸ぐらをつかみ、てめえ、このやろうと態度が豹変する。

 先に「ゆきゆきて、神軍」や奥崎氏のWikipediaを読んでから観た。一部は奥崎氏の「芝居」だと書いてある。後のインタビューでも監督は「カメラの前で、芝居がかったことをされたのには困った」と語っている。

 本当は、そんなものを撮りたかったのではないはずなのだ。

 全部が芝居ではもちろんないが、確かに撮影されているから、意識して激しい行動をとっている部分もある。

 それでガッカリするかというと、そうでもなく、わかった上で観ていても、そうだその通りだといつしか、奥崎氏の主張に同調している自分がいる。

 やがて、元隊員たちは真実を語り出す。初回に訪問したときは知らぬ存ぜぬだった人も、奥崎氏の、
「○○さんの言っていた話だと、これこれこうで・・・・」
 と言うのを聞いて、
「そうですね。あの時、ああなって、こうなって」
 と、真実を語り出す。

 そして元隊員が異口同音に「上官の命令だった。最後は上官がとどめを刺した」と語り出す。

 ある隊員は病気で、入退院を繰り返している。「病気になったのは天罰だ」と本人に向かって言い放つ奥崎氏。

 しかし「自分の服役や数々の出来事も天罰。戦争中の罪を背負って生き延びたから、天罰なんだ」と言っており、最後には天罰であと10年服役する覚悟だと言い出す。

 戦時中の殺害事件の首謀者と奥崎氏に特定された「元上官」を、責任を取ってもらうために殺害して服役する気だという。

 最後はテロップで、事実が告げられるのみである。
 奥崎氏は実際に改造拳銃を使って、元上官の自宅を訪れ、応対に出た元上官の長男を銃撃し、重傷をおわせて逮捕される。

 拘置所に面会に訪れる奥崎氏の妻の映像。
 しかし最後には、その妻すら死去したことが伝えられて終わる。

映画「ゆきゆきて、神軍」の感想

 戦後80年。
 まさに今こそ、観るべき映画じゃないか。

 テレビは8月15日に、感傷的な「火垂るの墓」ではなく、一貫して激昂している「ゆきゆきて、神軍」を放送してほしい。放送禁止用語満載だから、無理だというのはわかるけど。

 奥崎氏の主張には、ある種の真実がある。

 彼は自分の利益や、欲のために主張しているわけではない。

 捨て身の、自己犠牲の主張である。

 元上官の長男を銃で襲うという暴挙は許されない。暴力に暴力で応えたのでは、永遠に解決はしない。

 それでも奥崎氏は、戦時中に自分がやったこと(具体的に何をやったかに関しては、語られない)を思うと「天罰」だ、自分も天罰で服役するのだと言う。

 驚くべきは奥崎氏が殴りかかったり、馬乗りになったりして元隊員に襲いかかるすぐ横で、元隊員の孫や子供たちが成り行きを見守っている場面。

 一度や二度ではなく、別の元隊員の自宅でも、すぐ横で孫らしき子供が遊んでいる。そこで奥崎氏がなんだとこの野郎!と叫びながら、飛びかかる。馬乗りで殴りつける。孫はなぜ、逃げないのか・・・・

 孫は泣くでもなく、やめろと叫ぶわけでもなく、「ぽかん」とした態度。驚いて固まっているようにも見えるが、何が起こっているのか理解できていないようにも見える。正に「平和ボケ日本」を象徴するような場面・・・・だと私は思った。

 病気でお腹を切って、手術したばかりの元隊員にも、容赦なく飛びかかる奥崎氏。奥さんらしき人が「病気だから、この人、お腹切ったばかりだから」とさすがに止めに入るが、奥崎氏は容赦ない。足蹴りされたその人は、最後は救急車で病院へ。

 なぜ、そこまでして・・・と思うと同時に、もし戦争体験者、軍隊経験者が皆、奥崎氏のように、
「許さない。思い出せ。天罰を受けろ」
 と言い出したら、どうなるのか、空恐ろしいことだと考える。

 逆になぜ、多くの戦争体験者は口をつぐみ、過去を語らず、墓場まで胸にしまうのか。

 つらい過去は忘れたい、というのはわかる。
 わかるけど・・・・

 生きていくためには、しょうがないことなのか。

 奥崎氏はすでに他界している。

 存命していたら「日本人ファースト」という主張が人気を集める今の日本を見て、どう思うだろうか。

 なんとなく言っていることは、私の祖父にそっくりで、戦争で指を失っている点までそっくり。
 奥崎氏は右手の小指を失い、私の祖父は右手の中指と薬指の第一関節から先を失っている。祖父の言によると「戦争中に、武器を作る工場の機械に挟まれたんじゃ」とのこと。

 他人とは思えないのは・・・・そんなところか。

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