今回は、1980年代に東京都世田谷区の用賀にあった「用賀アメリカ村」の思い出話です。
松任谷由実さんや、三谷幸喜さんのエピソードにも出てくる場所です。
令和時代の今、「用賀アメリカ村」は過去の話。
すでに当時のおもかげもなく、街はすっかり変わってしまいました。
昔、世田谷の用賀にあった「アメリカ村」て何?
私が上京して最初に住んだのが用賀
私が1987年に田舎から上京して、最初に住んだのが世田谷区の用賀だった。
最寄り駅は田園都市線の「用賀」駅だが、住所は世田谷区瀬田5丁目。
ちなみに当時は、渋谷から二子玉川までの区間はまだ「新玉川線(しんたまがわせん)」と呼ばれた時代。
私が住んでいたのは、東名の用賀インターの近く。今も唯一存在するマクドナルド用賀インター店の近くの古いアパートだった。
当時、あのあたりは「用賀アメリカ村」とか「瀬田アメリカ村」「環八アメリカ村」と呼ばれていて、おしゃれなレストランが沢山あった。
松任谷由実さんのお住まいが近くにあるとか、三谷幸喜さんも、若かりし頃に高級レストランと勘違いして、ファミレスにクリスマスのデートで訪れたとか・・・。
今、ほとんどのレストランは閉店。
誰も「アメリカ村」なんて呼んでいない。
というか、用賀アメリカ村はとっくの昔に消滅していたのだった。
私だって、あと数年で記憶の中から「用賀アメリカ村」を消滅させてしまうかもしれない。
そうなる前に、覚えていることを備忘録として残しておきたいと思う。
「用賀アメリカ村」て何のことなのか?
環八通り(東京都道311号環状八号線)と、首都高速3号渋谷線が交差する「環八東名入口交差点」付近。
首都高速3号渋谷線の「用賀出入口」と、東名高速道路の起点となる「東京インターチェンジ」が隣接している世田谷区瀬田5丁目周辺。
現在、ガソリンスタンドの「エネオス」や住宅展示場の「ハウジングプラザ瀬田」があるあたりに、1980年代から90年代にかけて存在したのが「用賀アメリカ村」である。
アーリーアメリカンとか、コロニアル様式と言われるような白い壁に円柱のあるベランダ。広い芝生の前庭。英語表記の看板。
そんな外観のレストランが数件集まって、そこだけまるで「古き良きアメリカ」のような雰囲気を醸し出していた。
それが「用賀アメリカ村」。
いつごろからそう呼ばれるようになったのかは定かではない。私が用賀に住み始めた1987年(昭和62年)にはすでに「用賀アメリカ村」は完成形だった。
1980年代前半からレストランがオープンし、80年代後半の「バブル経済」真っ只中の時代に「用賀アメリカ村」ともてはやさた。
雑誌やテレビの情報番組で取り上げられ、テレビの音楽ランキング番組が、用賀アメリカ村のレストランから中継放送されたこともあるらしい。
その後、バブル崩壊とともに用賀アメリカ村も消滅したものと思われる。
私は残念ながら3年弱しか瀬田5丁目に住んでいなかった。
少なくとも、私が瀬田を去る1989年にはまだ「用賀アメリカ村」は健在だった。
用賀アメリカ村の画像はあるのか
ネット上で「用賀アメリカ村」の画像を検索した。
いくらでも当時の画像はあるだろうと思ったが、当時の画像は見つからない。
よく考えたら40年前。そりゃ見つからないだろう。
こんなことなら、当時の「用賀アメリカ村」の写真を、私自身がもっと撮っておけばよかったと後悔する。
今のように「スマホで手軽に画像を」という時代ではないから、写真がまったくないのだった。
探し続けた結果、1991年に世田谷区から発行された小冊子「せたがや百景」に「環八アメリカ村の風景」の画像があった。
「せがたや百景」とは、昭和59年(1984年)に世田谷区が発案し、世田谷区民の投票によって選出された風景・景観の百選だ。
選定は1984年だが、小冊子はそれから7年後に発行されたらしい。

せがたや百景より
3つあるレストランがわかる。
画像手前が「デニーズ用賀店」を裏側から見た様子。
その前を走る道路が環八。
その向こう側、右奥が「プレストンウッド」、左奥が「イエスタディ」。
都市伝説として、近所に住む松任谷由実さんが夜な夜なこの「イエスタディ」で若者の会話を小耳に挟みながら、そこからヒントを得て作詞していると言われていたけど、ホントだかどうだか。
▼「せたがや百景」のpdfはこちら
世田谷区公式サイト『せたがや百景』
当時、用賀アメリカ村にあったレストランとは?
用賀アメリカ村の3大レストラン
ちなみに「アメリカ村」とだけ表記すると、大阪の心斎橋にある「アメリカ村」と混同するので、あえて「用賀アメリカ村」と書く。
「用賀アメリカ村」を象徴していたのが「デニーズ」「イエスタデイ」「プレストンウッド」の3大レストランだ。
3大というのはあくまでも「用賀アメリカ村」における3つの人気のレストランという意味であり、決してその時代の全レストランにおける「3大」ではない。
当時、田舎から上京したての私は、アパートの大家さんから、
「この辺はねえ、最近アメリカ村なんて呼ばれて、若い人に人気でねえ・・・レストランが沢山あるでしょう」
と聞いて、敷居の高い高級レストランと思い込んでいた。
しかしその実態は、3店ともファミレスのちょっと高級版、というものであったことを令和の今、知る。
デニーズはもちろんのこと、イエスタデイは「すかいらーく」系列、「プレストンウッド」は森永製菓がかつて展開していたレストラン事業「レストラン森永」系列(現在は消滅)だった。
上記の「せがたや百景」の写真と、Googleマップの現在のストリートビューを見比べると元住人としてはよくわかる。
今の「エネオス(ガソリン・スタンド)」の場所に「プレストンウッド」。
「ハウジングプラザ瀬田」の場所に「イエスタデイ」。
今の「セブンイレブン」の場所にデニーズがあった。
三谷幸喜のエッセイにも出てくるデニーズ
安住アナウンサーのラジオに三谷幸喜さんがゲストで出演された時に、用賀アメリカ村のエピソードが紹介された。
三谷幸喜さんのご実家は経堂だか、祖師谷だか、とにかく用賀アメリカ村の近くだった。
ある日三谷さんが、たまたま通りかかったアメリカ村のデニーズを見て、高級レストランと勘違い。
当時お付き合いしていた女性と、記念日に訪れたところ、相手女性はファミレスと知っていて、がっかりしていたという話だった。
実際にそのエッセイを現物入手した。
「今年(1993年)の正月は・・・」という表記があるので、約30年前の1993年前後に書かれた求人誌「とらばーゆ」連載のエッセイをまとめた本「オンリー・ミー: 私だけを」だ。
この中の「クリスマス料理」というエピソードがそれ。
「二十歳の頃の話」として、偶然通りかかったおしゃれなレストランを「クリスマスにはぴったりだ」と思い、イブの日に彼女と訪れた。
三谷さんは成人式で作った背広、彼女はドレスを着て、わざわざタクシーで店に向かった。
三谷さんは「外国映画の一場面を思わせる」ような、おしゃれなレストランだと思い込んでいたが、タクシーが店に着くと、彼女の顔色が変わった。
「そのデニーズは、今も同じ場所に建っている」
というオチで終わっているが、どこにも「用賀のアメリカ村のデニーズ」とは書かれていない。
ラジオで安住アナと三谷さんが会話する中で、あれは用賀のファミレスで・・・みたいな話だったと記憶する。私は早速Amazonで本を取り寄せ、エピソードを読んだ(どんだけの用賀好きだよ、私も)。
マクドナルド用賀インター店開店当時の画像
ちなみに、3大レストランのほかにも飲食店があった。
当時(1985年ころ)の「マクドナルド用賀インター店」の開店を紹介する雑誌記事はこちら。

写真の説明には、
『東名用賀インターの入口に、8月14日にオープンした。イエスタディ、デニーズ、プレストンウッドの3店が集結した、瀬田の通称アメリカ村への出店で、白いリゾートタイプを意識した外観が映える。』
『店舗はドライブスルー併設型で、規模は575.4㎡150席。大型店で導入が始まったパーティションに、同店が初導入の天井のファン、天窓、花柄の壁、カーテンなど、居住性の向上を図る工夫が随所に凝らされている。』
とある。
これを見るとマクドナルド用賀インター店は今の外観とは違って、用賀アメリカ村の他のレストラン同様真っ白な外装だったことと、内装も当時としてはかなり豪華(パテーションとか天井のファンとか)だったことがわかる。
さらにマクドナルド用賀インター店が日本国内での「マクドナルド500号店」であり、その記念の出店ということでアメリカ村に建設されたということも知らなかった。
建物は開店当時のままだが、「白いリゾートタイプを意識した外観」はその後、塗り替えられている。

マクドナルド用賀インター店のリニューアル
そしてマクドナルド用賀インター店は2024年3月10日をもって一時閉店。
建物の建て替え工事が行われ、2024年10月30日にリニューアルオープンした。
ドライブスルーが2レーンになったかわりに、建物自体が小さくなり、駐車場もなくなった。
かつて「第2駐車場」だった場所(もっと昔は「すかいらーく」と「ジャンプ亭」だった場所)には、マンションが建設されている。
用賀アメリカ村の「すかいらーく」
実は、私が当時一番利用していたのは当時あった「すかいらーく」だった。
3大レストランは環八に面した場所にあったが、「すかいらーく」も目立たない場所にあった。
環八側から見てマクドナルドの裏の方、東名高速の入り口に向かう道路のわき、現在の「マクドナルド第2駐車場(2024年にマンションが建設された)」となっている場所が、かつては24時間営業の「すかいらーく」だったのだ。
え?あんなところに「すかいらーく」なんてあった?と思うだろうが、何度も行ったので間違いなくあったのだ。
3大レストランは敷居が高くて、それぞれ1回くらいしか行ってないが、「すかいらーく」は当時からリーズナブルで、なにかと利用していた。
特に、1987年当時、休みの前の日になると「すかいらーく」に夜中の2時とか3時に一人で行く、というのが私の密かな楽しみだった。
時刻は午前3時。入り口で店員さんに、
「なん名様ですか?」
と聞かれて、
「ひとりです」
と答えると、大抵の場合「え?」という顔をされた。
若い女が、こんな夜中に一人でなぜ?みたいな空気が、お店の人の顔に一瞬サッとよぎる。
しかも私の服装は、部屋着に一枚羽織っただけみたいな軽装。
タンクトップに短パンにパーカーという軽装で、この女、どこからこの服装で夜道を歩いてきたのか、という顔をされた・・・・・ような気がしていたのは私だけかもしれないが、自宅がすぐ裏にあるので、ほぼ部屋着で行けたのだった(思い返すと死ぬほど恥ずかしいです)。
ラーメンと弁当の店「ジャンプ亭」
さらに、その「すかいらーく」の並びには弁当屋さんがあった。
いわゆる「ほかほか弁当」のようなお店だったけど、チェーン店ではない、個人経営のお店だったと思う。(後にこのブログを読んだ方から情報提供いただき「ジャンプ亭」という店名が判明。ほかほか弁当の他に、ラーメンやうどん・そばなどの飲食も店内でできたお店でした。私はお弁当しか利用したことがなかった)
東名高速の入り口なので、トラック運転手の方などが利用していたのだと思う。
お弁当店には駐車場がなくて、当時お店の前には大型トラックが数台、いつも路上駐車していた。
木曽路はその当時からあって、今もある
「用賀アメリカ村」の時代からあるのは「マクドナルド」だけではない。
しゃぶしゃぶの「木曽路」も当時からあって、現在もある。
ファストフードのマクドナルドを除けば、レストランとして生き残ったのが「木曽路」だ。
現在あるスターバックスはもちろん、当時はなかった。
そして私自身が利用したことがあるのは、前述の通り「すかいらーく」が最も多く、「ジャンプ亭」のほかほか弁当やマクドナルドのテイクアウトもよく買っていたが、デニーズは数回行っただけ。
イエスタデイは一度だけ、職場の上司が連れて行ってくれた。
プレストンウッドに至っては、店の前は何度も通ったが、一度も入ったことがなかった。
だいたいプレストンウッドて何だよ。語源を調べてもよくわからない。「テキサス州ダラス周辺(プレイノ、ダラス北部)のエリア名」て、これなのかな?
一見真っ白な外観で、おしゃれな高級レストランに見えたけど、三谷さんのエッセイにあるように、見る人が見れば「ファミリーレストラン」とわかるお店だ。
バブル崩壊とともに「用賀アメリカ村」も消えたと言われている。
実際には「何が高級レストランか」ということが、当時より浸透した。
本当の美食や、真の高級レストランを知っている人が増えた。つまり、日本が当時より「成長した」「大人になった」からこその、用賀アメリカ村の消滅だったのではないか。
用賀インター付近の当時の映像(動画)
【追記】
このブログを読んだ方からの情報提供で、当時の映像が動画サイトにあることを知った。
「用賀アメリカ村」の大地主だった、大塚伊三夫さんのインタビューも収録。
用賀アメリカ村はあまり映っていないが、私がお弁当をよく買っていた「ジャンプ亭」の様子がわかる(6:40くらいから)。
「湯河原の方へツーリングに行く」とインタビューに答えている男性の後ろにバッチリ「あつあつ弁当」という黄色地に赤文字の看板が映っている。懐かしい。懐かしすぎて涙、出ました。
その後に映っているお地蔵様も、私がいつも銭湯に行く時通っていた「環八の旧道」にあった祠(ほこら)。よく覚えています。
情報提供くださいました方に、心より感謝いたします。
↓動画はこちら
「風は世田谷」~第73回~用賀25時(昭和62年2月21日放送)
用賀アメリカ村のその後
数年前に、用賀アメリカ村付近に行った。
かつての「イエスタディ」跡地は住宅展示場になり、唯一あったラブホテルにはマンションが建ち、最後まで残っていたデニーズもセブンイレブンに、3Mのビル跡地はニトリになっていた。
「デニーズはニトリになった」
と勘違いしている人もかなり多いが、それは違う。
今のニトリの場所にあったのは、レンガ色の「住友スリーエム株式会社(通称3M)」の本社ビル。
2013年に品川に移転して、その跡地にできたのがニトリである。個人的に一番、思い出深いのがこの「3M」のレンガ色の建物だ。

毎朝、ビルの前にある横断歩道を渡って、3Mの駐車場を中を通り抜けて(駅への近道なのだ)、用賀駅に向かっていた。
社会人1年生の頃で、内心「会社、行きたくないなあ」と思いながらも、イヤイヤ出社していたあの頃が、レンガ色のビルとともに、記憶に刻まれている。
松任谷由実と用賀アメリカ村
2023年12月1日放送の「ザワつく! 金曜日」に松任谷由実さんが出演。
番組終盤で「アメリカ村」の話題が出た。
あまり有名人が「〇〇に住んでいる」という話はしないものだが、ユーミンに関しては私が用賀に住んでいた40年前から「ユーミンの自宅はこのあたりのある」と言われており、「用賀アメリカ村のレストランに、夜な夜なユーミンがお忍びで訪れ、若者たちの話に聞き耳をたてている」という都市伝説のようなものがすでにあった。
実際当時、近所を散歩していて道に迷ってしまい(ひじょうに迷いやすい迷路のような街である)「MATSUTOYA」とローマ字表記された表札をかかげたお屋敷に偶然出くわして、
「こ、こ、ここなのか!」
と驚愕した。なんと堂々と、デカデカと表記されているのか、と驚いたのだ。
ちなみに現在はそのお宅から、少し離れた場所に転居されたらしい。
世田谷の用賀、瀬田、玉川台、あの辺りは豪邸また豪邸・・・みたいな場所なので、大きな家があってもあまり目立たない。
とはいえ、ユーミンのお宅はやはり、当時から異彩を放つ存在であった。
何年か前にユーミンのブログがあって、自宅からどこどこまでウォーキングしたとか、どこどこのカフェでお茶したとか、世田谷の地名が出てくる内容で驚いた記憶もある。
自宅近辺の地名を具体的に書いて、大丈夫なんだろうかと思った。どこで読んだんだろうと探したけど、見当たらない。
AIで調べたら「お客様が読まれたのは、おそらく2009年にアルバム『そしてもう一度夢見るだろう』の発売を記念して期間限定で開設された「OLの分際で」という公式ブログではないでしょうか。」という回答だった。そうかも。元々期間限定で「いつか消える」から、具体的な地名だったのか?
いずれにしろ、ユーミンが「用賀アメリカ村」の近くに昔も今もお住まいだということは、間違いないだろう。
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