【ほん怖】事故物件実家 その2霊媒師が言うには無縁仏が・・・

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 前回の【ほん怖】事故物件実家 その1伯母よ、お前は地面師かの続き。

 事故物件の実家を売却する、現在進行系の実話だ。

 最近よくある「知り合いの知り合いが」とか「近畿地方のある場所に・・」という実話ともフィクションともつかない伝聞や、又聞きや、都市伝説ではない。

 この私が、齢(よわい)56歳の私が、母が死んだ12歳の時から足掛け44年にもわたって背負ってきた、「実話の中の実話」を、とっくり、たっぷり、時間をかけて語る。

 44年分の話だから、当然、長長長文になること間違いないだろう。

 何のためにそんな話を書くかと言うと、
「転んでもタダでは起きたくない」
 からです。

 その1では弁護士から「不在者財産管理人選任」の通知が届いたこと。
 実家には40年、相続権を主張する伯父が住み着いてたことなどを書いた。
 また、伯母が勝手に私の実家を1000万円で売ろうとした、「地面師」まがいの出来事なども書いた。

 今回の「その2」では、なぜ実家が事故物件なのかについて書く・・・つもりだったが、長くなってしまったので、その「まえがき」のようなものになった。

目次

実家が事故物件の理由その1はゴミ屋敷だからだ

 事故物件とは、事件や事故が原因の死、自殺、孤独死などがあった物件のことだ。

 基本的には、入居者が亡くなる場所となった物件が「事故物件」と呼ばれるが、基準は極めて曖昧と言われている。

 これに加えてひどい悪臭や、ひどい騒音、近くに墓地や嫌悪・迷惑施設が立地しているなどの場合も合わせて「心理的瑕疵(かし)物件」とも言われる。

 私の実家は、あらゆる意味で事故物件で瑕疵物件だ。

 まず、40年間にわって「ここは俺の土地だ」と住み着いた伯父(母の妹の夫)は、実家を完全に「ゴミ屋敷」にした。

 今となっては、何のためにそんなものを収集したのか不明だが、実家の庭には大量のテレビや冷蔵庫などの廃棄物が積み上げられ、その間を埋めるように雑草が生い茂って、ゴミと雑草のジャングルと化した。

 家の中がどうなっているのかは、不明だ。
 私が暮らしていたころは、母が金に糸目をつけずに揃えた調度品があったはずの実家。

 シャンデリアは100万円。ソファセットは80万円。間接照明用の小さなスタンドライトすら数十万円という成金屋敷だった。今の価格ではない。40年前の購入額だ。

「これはお前がハタチになった時まで着られるように仕立ててあるから」
 と言われた、私の振り袖と帯の一式も。小学生の頃は正月がくると、その着物一式を母が私に着付けてくれた。成人式まで着れるようにと、肩上げ・腰上げなどの身上げの処理がされた、宝尽くし文様の大振り袖の晴れ着一式。これも何十万円もの価値だ。

 全部どこへ行った?伯母が売ったのか?伯父が処分したのか?それとも45年の時を経て、住む人もいなくなった実家で朽ち果てているのか。

 私の成人式は、とっくの昔に過ぎ去った。大振り袖のことを、思い出さずにおられようか。

 成人式当時の私は東京の世田谷区に住んでいたが、式典のようなものには一切出席していない。もちろん、晴れ着の写真すらない。

私も弟も、ハリー・ポッターか浜省マネーのように実家を出て行った

 母が亡くなったあと、その家には母の妹一家が住むことになった。
 母の妹である伯母、その夫である伯父、その子ども二人。
 そして「おまけ」のように私と弟も。

 「ハリポッター」の主人公・ハリーは、物語の始まり部分で、母の姉である叔母によってダーズリー家の階段下の小部屋での生活を強要される。ダーズリー家の息子は甘やかされて育ち、ハリーは辛酸を舐める。

 私と弟の、伯母一家との生活もそっくりだった。

 ハリーにはホグワーツからの手紙が届くが、私や弟にはそんなものも届くはずもなく、私は高校を卒業すると自らの足で実家を出て上京した。

 私が上京した2年後、弟も高校を卒業し、浜田省吾の「マネー」の歌詞そのままに、次の朝バッグを抱えて出て行った。

母はその土地を買って、不幸になった

 母は土地を買って、家を建てた。
 そして、その家に越してもうすぐ1年という時に、亡くなった。

 正確に言うと、あと1週間で1年だ、という時だ。

 今思うに、あの家、母が買った土地、あれが全ての不幸の始まりだった。

 世の中には手に入れた途端に、持ち主を不幸にする物がある。

 子どものころ「世界の不思議な話」や「世界のミステリー」などの本が大好きだった私は、自腹で買った「世界7大ミステリー」という子供向けの漫画本にあった「呪われた自動車」という話を繰り返し読んだものだ。

 第一次世界大戦の原因となった「サラエボ事件」。その時に暗殺されたオーストリア皇太子フェルディナンド大公夫妻が乗っていた車が、のちに「死神ベンツ」「呪いのベンツ」と呼ばれることになる車で、サラエボ事件後も持ち主を次々と死に追いやった。

 母が買った土地も、「死神ベンツ」のようなものだった。母が亡くなったから事故物件になったわけではなく、買った瞬間から事故物件だったのだ。

 もちろん、母が買う時にはそんな話はなかった。その土地は新興住宅地にある、新たに宅地造成された土地だったから、以前の所有者というのはおらず、更地になる前は雑木林だった・・・・はずである。

 ところが母が一年とたたずに亡くなったことから、いろいろな憶測が飛び交った。

 ある筋からは「ここは元々墓地だった」という話が飛び込んで来た。
 またある筋からは、無縁仏の霊がどうのこうの、という話も伝わってきた。

「気味が悪いわ。お祓いでもしてもらわないと」
 と言った伯母(母の妹)に誰かが入れ知恵した。

「私の知り合いに、霊媒師がいるから、一度その土地をみてもらうといい」

招かれた霊媒師が語る「無縁仏」

 その新興住宅地には、家が何件も立ち並んでいた。
 日本全国にあるような、元々雑木林や、畑や、何かの施設や、大きなお屋敷だったような場所を買い取って、デベロッパーが更地にし、区割り整備して分譲している土地だった。

「古地図を見てみると、あのあたり一体は江戸時代より前、墓場だったそうじゃないか」
 誰かが言った。

 それなら母が買った土地だけでなく、隣近所が皆、不幸にならないと辻褄が合わない。土地を買って1年もしないうちに家主が死んだのは、うちくらいだった。

「きっと悪い霊が関係しているから、私の知り合いの霊媒師に鑑定してもらいなさい」
 と言ってきたのはおそらく、伯母の義理の姉(伯父のお姉さん)だろう。

 母が亡くなって、親戚が葬儀に集まってきた時は、口々に、
「この家は水場の方角が悪い。あんな場所に風呂場を作るからダメなんだ」
「いや、玄関の向きが悪い。あんな向きでは・・・」
「台所が悪いんじゃないか?西日があんなに当たっては、縁起以前の問題として、食べ物がすぐに腐るだろうに」
 など、言いたい放題だった。

 私の実家は、風水的にも、建築学的にも、なにもかもが大間違いの家、土地、ということだった。

 はたして、何者かの手引で、母の死から3ヶ月後、霊媒師と言われる女性がやって来た。

 霊媒師本人と、その助手のような人2名が軽自動車でやって来た。どちらも70歳前後の小柄な女性で、どちらも灰色のスラックスに化繊の白いブラウスという、地味ないでたちのおばあさんだった。

 ちょうど「稀代の霊能者」と言われた宜保愛子が、テレビにちらほら出だした頃だったから、私は霊媒師がうちに来ると聞いて、どんな人が来るのかと、不謹慎にも期待に胸を膨らませていたが、全く普通の、そこらを歩いているようなおばあさんだったのでがっかりした記憶がある。

「ああ、寒いね」
 おばあさんは部屋に入るなり、そう言って手に持っていたカーデガンを着た。

 それから説明が少しあって、
「では、始めましょう」
 と言ってから、助手のおばあさんと二人、指に掛けた数珠をじゃらじゃらいわせながら般若心経を唱えだした。

 般若心経は一度では終わらず、ぎゃーてーぎゃーてー・・・・と終わりの方になると、またじゃらじゃら鳴らしつつ最初から始まって、何度も繰り返えされた。

 同席していたのは母の妹である伯母と、私と、弟と・・・・伯父もいたような、いなかったような。すでに45年くらい前のことなので覚えていないが、とにかく何度も般若心経を唱えたあと、おばあさんが唐突に、
「ごめんねえええ、ごめん。とにかく、私のことはもっと、よく調べて。調べて欲しい」
 と、声色を変えて言った。

 「口寄せ」というやつだった。

 テレビの恐山のイタコ特集で、観たことがあるぞ、と私は心の中で思った。

「お姉さんがねえ、今降りてますからねぇ・・・」
 霊媒師の横に座った助手のおばあさんが、伯母にささやいた。

「姉ちゃん?姉ちゃんなの?」
 伯母が霊媒師に問いかけると、霊媒師のおばあさんは畳をにじり寄って伯母の手を取り、頭を下げて、
「ごめんねええええ」
 と絞り出すように涙声で言った。

 伯母も涙声になり、その様子を間近で見ていた私や弟も泣いた。母がそこにいるとは思えなかったが、それでも「ごめんね」と母がもし、生き返ったら言うであろうことは想像できたから、泣くに決まっている。まだ私も弟も小学生だ。

 それから霊媒師とその助手は、また何度かぎゃーてーぎゃーてーと般若心経を唱えて、最後は祈るような仕草で畳にひたいをこすりつけ、正座の姿勢に戻って、
「・・・・・・終わりました」
 と静かに言った。

 それからはよもやま話のような会話になった。

 伯母が、今いる和室で姉は亡くなったのだと言うと、霊媒師のおばあさんはさもありなんと膝を打って、
「そうでしょ、そうでしょ、私、この部屋に入ったとき寒いと言いましたよね。すぐわかったから、だから寒気がして、すぐ上着を着たでしょ」
 と得意げに言った。

 あまりに得意げに言うものだから、私は逆に滑稽に思えた。だったらその時すぐに、
「ここで亡くなったのですか?」
 と言えばいいのに。後出しジャンケンみたいに、今言ってもなあ、と思った。

 それから霊媒師の指示で、伯母は台所からどんぶりいっぱいの塩を持って来た。

「ここに一体、あとあのあたりにももう一体、それから外にも何体か、やはり無縁仏の霊が悪さをしていますね」
 というのが霊媒師の見立てだった。霊視ということになるだろう。家に不幸が起こるのは、母が買った土地にに何体もの無縁仏の霊がついているからで、清める必要があるとの話だった。

「遺体が・・・・埋まっているということですか?」
 伯母が問うた。
「いやいや、無縁仏というのは別に、ご遺体がこの土地にあるという事ではないですよ。あくまでも、土地に憑いている霊というか・・・ハッキリうと悪霊ですよ。悪い無縁仏の霊が、この土地に何体も憑いています」
 表情も変えず、霊媒師は淡々とそう告げた。宜保愛子とそこは、同じ感じだった。

 霊媒師は靴を履いて庭に出ると、塩の入ったどんぶりを片手に持って、助手と二人、般若心経をとなえながら歩き出した。

 敷地の中をぐるぐると周りながら、口では般若心経を唱え、手では塩をまいていく。ぎゃーてーぎゃーてーと言いながら、ミレーの「種まく人」のように、塩を右、左、右、左とつかんでは投げ、つかんでは投げの調子で庭に撒く。その後ろを助手もついて歩く。

 10分近くそうやって、霊媒師と助手は塩を撒きつつ経を唱えていただろうか。私と弟と伯母は、その様子を家の中からぼんやり見ていた。

「叔母ちゃん。あの人がさっきさ、私のことはもっと、よく調べて、調べて欲しい・・・て言ってたのは、何のことだろう?」
 庭を眺めながら、私は伯母に問いかけた。
「さあねえ・・・何だろね」
 伯母は小首をかしげ、それ以上何も言わなかった。

「これであらかた、終わりました」
 カラになったどんぶりを受け取った伯母は、茶封筒を霊媒師に渡した。霊媒師はうやうやしく封筒を受け取ると、
「また、何かあったら連絡して下さい。いつでも来ますから。ここらの土地はねえ・・・昔はあれですよ、無縁仏やら、やっぱりいろいろ、あったようだしねえ・・・」
 と曖昧な表現でうやむやにして、去って行った。

 事故物件の理由は「無縁仏」ではない。

 「無縁仏の霊がいる」と言ったのは、あくまでも霊媒師の見立てだ。

 実際に何か事件や事故があったような土地でもない。

 40年以上経った今、私が思うには、こういうのは「霊感商法」の一種に間違いない。

「霊媒師にみてもらったほうがいい」
 と伯母に言った人も、謝礼の何割かが懐に入るのか、再々「もう一度、来てもらえばいいのに」などと言い続けていたようだ。

 塩を撒いて読経したところで、結果的には何の効果もなかった。

 清められるどころか、その土地はその後拍車をかけるようにして、伯父の手による「ゴミ屋敷化」の坂を転がり落ちて行く。

 あの霊媒師のおばあさんと助手。40年もたった今では当然、この世にはいないだろう。
 伯母が茶封筒にいくら入れていたのか知らないが、完全に詐欺だったと、今、ハッキリ言える。

 そして、実家が事故物件たる所以は、もっと大きな事が原因だった。

▶▶▶ 「その3 ある事に気づいて背筋が凍った」につづく

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【ほん怖】事故物件実家 その1伯母よ、お前は地面師か

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