ドラマ『ガス人間』に登場する福祉施設「ホワイトセンター」。
正義の裏で弱者が強制労働や隠蔽に利用されるその構造は、決してフィクションの中だけの話ではありません。
本記事では、身寄りのない人々が集められた歴史上の入所施設での労働搾取や、国家主導の危険作業隠蔽工作など、ホワイトセンターのモデルと考えられる実在の施設や歴史的背景との類似点に迫り、現代にも通じる構造的な闇を考察します。
「ガス人間」ホワイトセンターのモデルとなった施設
過去に実在した大規模な人権侵害施設
「ホワイトセンター」のモデルとなっているのは、20世紀後半の韓国で、国家の黙認・主導のもとに行われた大規模な人権侵害施設です。
- 兄弟福祉院(釜山):1970〜80年代、国家の浮浪者浄化方針に乗じ、ホームレスや一般市民・子どもらを強制収容。強制労働や暴力により数百人以上の死者を出し「韓国版アウシュヴィッツ」と呼ばれました。
- 仙甘(ソンガム)学園(京畿道):日本統治時代から80年代まで存在した孤児院・浮浪児収容施設。ストリートチルドレンらを孤島に監禁し、苛烈な労働と虐待を行いました。
人権侵害施設の再現動画・インタビュー・ネット記事
Netflixで配信されているドキュメンタリー作品『私は生き延びた: 韓国を揺るがせた悲劇の中で』の①と②では、実際に「兄弟福祉院」に収容され、生き延びた当事者が、再現映像と実際の映像を交えながら、当時を語っています。
実在した「兄弟福祉院」の強制収容や人権侵害の実態について、日本のテレビ番で紹介された時の予告動画があります。
ただし映っているのは、収容所の様子を再現した映像。番組本編ではなく、予告の動画です。
【動画】▶『ワールド極限ミステリー』兄弟福祉院事件の再現映像予告
「仙甘学園」については、韓国の革新・進歩系のメディア「ハンギョレ新聞」のサイトに、
「学園の被害者が、10人に9人の割合で殴打と過酷行為を経験し、半分ほどが強制わいせつ行為を受けていた」
「ほとんどが収容生活中に死亡した仲間を目撃し、半分ほどは遺体の処理に動員されたという衝撃的な証言もあった」
と報道する記事があります。
【記事】▶日本植民地時代から運営された「浮浪児収容所」仙甘学園を調査…暴かれた人権蹂躙
韓国のヒットメーカー、ヨン・サンホとリュ・ヨンジェ
Netflix『ガス人間』の共同脚本を務めたのは、『新感染』シリーズなどで知られる韓国のヒットメーカー、ヨン・サンホとリュ・ヨンジェです。
韓国の現代史において、国家権力や福祉の名のもとに行われた「兄弟福祉院」や「仙甘学園」での人権侵害や強制労働は、社会に根深い傷を残した象徴的な事件です。
韓国出身の脚本家だからこそ、実在の史実や闇深き社会構造をフィクションへリアルに落とし込み、ホワイトセンターという絶望的な舞台を生み出せたと言えます。
制作陣の豪華キャストが登壇したイベント映像からは、日韓のトップクリエイターがタッグを組んで本作を作り上げた熱量が伝わってきます。
主演の小栗旬さんや蒼井優さんをはじめとする豪華キャスト陣に加え、エグゼクティブプロデューサー・脚本を務めたヨン・サンホ氏や片山慎三監督が登壇した貴重なイベント映像があります。
【動画】▶Netflixシリーズ『ガス人間』配信記念イベント
日本にもあった人権侵害施設・博物館網走監獄資料より
私はかつて、北海道の網走にある「博物館 網走監獄」で、ホワイトセンターとそっくりな明治時代の悲劇に関する資料を見学しました。
明治時代、網走に囚人たちが送られた最大の理由は「北海道開拓(特に道路の開削)」と「ロシアに対する北方の防衛」でした。
当時、国費をかけずに短期間で北海道の内陸部を開墾するため、政府は監獄の囚人を「使い捨ての労働力」として投入したという悲惨な歴史があります。
特に資料で際立っていた主要な事実について、いくつかポイントを振り返ります。
1. 「中央道路(北見道路)」の過酷な開削工事
明治24年(1891年)、網走から北見峠へと続く約160km超の鬱蒼とした原始林を切り開く「中央道路」の工事に、約1,100人の囚人が動員されました。
- 信じられないスピード要請: 本来なら数年かかる難工事を、明治政府はわずか8ヶ月で完成させるよう指示しました。
- 激しい競争と過労: 囚人たちは組ごとに分けられ、「早く終わらせた組には次のやりやすい工区を選ぶ権利を与える(遅れた組には罰)」という方法で過度な競争を煽られました。そのため、昼夜を問わず不眠不休での不自然な強行軍が行われました。
2. 生存を脅かす劣悪な環境と「重い足かせ」
- 足かせ・鎖で繋がれた作業: 逃亡を防げるよう、囚人たちは2人一組で重い鉄の鎖で繋がれたまま(あるいは重い鉄球を付けたまま)大木を切り倒し、岩を砕く作業を強いられました。
- 栄養失調と病気: 食事は満足に与えられず、過酷な労働と栄養不足から「脚気(かっけ)」や感染症が大流行しました。
- 極寒と危険: 冬の氷点下を超える極寒や、夏場の害虫・羆(ヒグマ)の恐怖に常に晒されていました。
3. 「鎖塚(くさりづか)」――倒れた囚人たちの墓標
この中央道路の工事だけで、囚人約210名以上、看守も含む多くの人々が命を落としました(「700mに1人の割合で死者が出た」と言われるほどです)。
亡くなった囚人たちは、道路脇にそのまま手荒く埋葬され、倒れた場所の目印として「足に付けられていた鎖」が墓標代わりに置かれました。これが今も沿線各地に残る「鎖塚」の由来となっています。
歴史的背景
あまりの非人道的な労働環境と多数の死者が出たことが当時も社会問題となり、明治27年(1894年)には囚人を直接的な道路開削などの危険外役労働に就かせることが廃止されることとなりました。
現在、私たちが北海道で快適にドライブできる道路(国道39号線や333号線など)の礎は、まさに明治の囚人たちが血と汗を流して切り開いた「負の歴史」の上に成り立っているという事実は、現地で資料を見ると強く実感させられます。
別名「動く監獄」休泊所
「博物館 網走監獄」にある再現展示物に、別名「動く監獄」と呼ばれた「休泊所」があります。
今で言う「簡易テント」のような設備で、道路工事に動員された囚人たちは、粗末な「休泊所」に寝泊まりして作業を続けました。
寝床は板張りで敷布団もなく、枕の代用として丸太棒が床に釘づけになっており、夜具は薄い柏布団1枚でした。
朝になると看守が丸田棒の端を木槌で叩き、その振動と音で囚人たちは目を覚ましたそうです。
蝋人形を使って、当時の様子を再現した「休泊所」の画像は「博物館 網走監獄」の公式サイトからも見ることができます。
【画像】▶「博物館 網走監獄」休泊所
明治の時代背景による犯罪者の急増
明治の初めは幕藩体制から天皇制に変わったばかりで、国中が大きく揺れ動いていました。
そのため、各地で反乱が相次ぎ、「国賊」と呼ばれる時代が生んだ罪人が大量に出ました。
さらに、度重なる戦乱で国民は困窮し、心がすさみ犯罪を犯す者が後を絶たなかったため、国中の監獄は過剰状態となり、次々と新しい監獄を作らなければなりませんでした。
(博物館 網走監獄『増え続ける囚人と北海道開拓の急務』より引用)
現代にもある「貧困ビジネス」
テレビのドキュメンタリー番組で観たことがありますが、現代の日本にも似たような施設はあります。
行き場のない年金受給者や生活保護受給者に「住まいと食事を提供する」と呼びかけて引き込み、劣悪な環境の施設やドミトリー(いわゆる「低額宿泊所」の一部など)に住まわせるケースで、一般的に「貧困ビジネス」と呼ばれています。
施設側は受給者の保護費や年金の振込口座を直接管理し、家賃・食費・光熱費などの名目で高額な利用料を毎月天引きします。
その結果、受給者の手元にはごくわずかな小遣いしか残らず、金銭的・環境的に自立や脱出が困難な状態に追い込まれてしまいます。
表向きは「困窮者支援」という善意の仮面をかぶりながら、実態は「国の公的扶助(税金)を吸い上げるための弱者囲い込みビジネス」として大きな社会問題となっています。
時代や国が変わっても「弱者を囲い込み、支援や管理の名目で搾取・利益化する」という構造自体は、形を変えて現代にも存続しているのです。
「ホワイトセンター」のモデルまとめ
歴史上の過酷な強制労働から現代の貧困ビジネスに至るまで、共通しているのは「弱者の尊厳を奪い、自らの利益や都合のために使い潰す」という冷酷な構造です。
人々を社会の道具やシステムを動かすための「人間燃料」として扱い、搾取を繰り返すようなビジネスや仕組みは、どのような時代・どのような理由であれ絶対に許されるものではありません。
私たちがこうした過去の歴史や現代の暗部に目を向け続けることこそが、新たな「ホワイトセンター」を生み出させないための第一歩となるはずです。
#Netflixガス人間ロケ地
